ボクらが手を合わせた先に、どんな世界が広がっているのか?

前にお祭のことについて書いた「大切なのはそこに至るまでの全てのプロセス」という記事の中で、秋季例大祭は「年に一度、神様が街に降りてきてくださる日」という話を書いたところ、その記事を読んでくださった方から「神無月(かんなづき)」のことについて教えていただきました。10月のお祭りだけど「ボクらがお祭りをやっている時、そこに神様がおられたのか?」って話です。

この10月のことを「神無月」と呼ぶのは、10月に全国の神々が出雲国に集まるため、他の地域には神様がいなくなる月という意味。逆に、神様が各地から出雲に集まる出雲国では、この月を「神在月(かみありづき)」と呼ぶそうです。この話の流れだったら、確かにいないかも…って話も分かります。

このご指摘をいただいてから、10月に神様は氏神様におられないのか?ってことについて、いろいろ調べてみたのですが、はっきりとしたことは分かりませんでした。引き続き、調べていきたいと思っていますが、このことを考えてみて気がついたのは、氏神様やお墓さんで手を合わせている時に、神様がそこにおられるかどうか、どんな様子でそこにおられるか…ってことって、これまでちゃんと考えていなかったな…ってことでした。

「手を合わせる」時に見ているものって…?
普段、全く意識していなかったけど、改めて考えてみると、手を合わせている時にイメージしていることは、目の前にある形であったり、場所であったり…ではないかもしれないな…ってことです。氏神様におられる神様がどんな神様か…とか、お墓にどなたがいて、その形がどうか…なんだかそういう細かいことって正直ほとんど気にしていなかったな…って思っています。

実は、石屋になってから「『お参り』する時に何を見ているのか…?』ってことを考えさせられた印象的な瞬間がありました。それは、石屋になって間もないころのこと。お墓さんを作る仕事なので、地域によるお墓さんの形とか、大きさや石の種類とか、必死で勉強するようになりました。作り方とか仕上がりとかも大切になるから、そういうことを考えるようになりました。しばらくして、確かにそういったことが見えるようになってきましたが、そうやって「お墓さん」のことが分かるようになって気がついたことがありました。

それは、石屋になるまでは、自分が「手を合わせる」時には、「お墓さん」の大きさや形、石の種類のことを全く気にしていなかった…ってこと。ボクが手を合わせた時に見ていたのは、その先にいるおじいちゃん、おばあちゃんだったり、自分が大切に思う亡くなった方々を見ていたし、お墓さんを見た時は「おじいちゃんが建ててくれたお墓さんや。」ってことを考えておじいちゃんをイメージしていました。

確かにそこに「お墓さん」があるんだけど、そのものを見ていない…という不思議。このことに気がついた時のちょっとした不思議な感覚は今でもよく覚えています。その「お墓さん」を作らせていただいてることについて、いろいろ考えさせられる気づきでした。

ボクが石屋として今大切にしていることは、この気づきから始まっています。しっかりとしたいいものを作りたいのはもちろんだけれど、それ以上に大切にしたいのは、みなさんが大切な方に心を寄せる温かい場所になるような「温度のある『お墓さん』」を作りたい…ってこと。日々精進しながら、とにかく心を入れて、お墓さん作っている日々です。がんばりたいと思います。

「手を合わせる」ってことの先には何があるのか?
こんなことを考えながら、いつものように息子と朝の「お参り」に行くと、真摯に手を合わせて「お祈り」をしている息子の姿がありました。そんな息子の横にいて思うのは、毎日一緒に行ってそばにいたとしても、手を合わせた彼が考えていることは、ボクには全く分からない…ってこと。

息子の姿を見ていて思うのは、手を合わせて目を閉じた瞬間から、たとえ親だったとしても、どれだけ近くにいても、誰も入ることができない自分だけの世界が広がるってことです。そして、そこには徹底的に応援してくださる「ご先祖さま」がいて、対話が始まる…。なんだかすごいなと思っています。

そんなことを思いながら、最初に考えていた「『神無月』に神様はおられるのか?」って話を考えていると、そこに神様がおられるかどうか…ってことは、そこまで大きな問題じゃないかもしれないな…ってことです。「お参り」する息子は「手を合わせる」ってことをした瞬間に心の中で間違いなくつながることができているだろうな…ってこと。「ご先祖さま」や神様がどこにおられても、たぶんあまり関係ないんだと思います。

うまく言葉にできないけれど、「ご先祖さま」や「神様」がどこにおられても、意味を知っていても知らなくても「手を合わせる」ってことは自分の中にすーっと現れてくれて、力を与えてくださる…って感じなのかもと思います。記事を読んでくださった方から感想をいただいたことで、改めて「手を合わせる」ってことのすごいパワーを改めて考えることができました。

庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

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