「お参り」を続けてきたことで、ボクの中で起こってきた変化のこと。

石屋になってから、毎日の「お参り」を続けているのですが、そのきっかけとなったは、毎日の「お参り」を続けておられたリスペクトする先輩と出会って「『お参り』をすれば幸せになる。」という言葉を教えていただいたことでした。まずやってみる…ってことから始めて、かれこれ6年ちょっとになります。

「お参り」に行き始めた頃、手を合わせていると、石屋になって間もなくてなんだか不安な気持ちでいっぱいになっている自分がそこにいることに気づいたり、どんなことを心の中で思えばいいのかが分からなかったりしていたことをよく覚えています。寒い時期だと、朝イチはまだ真っ暗なんで、不安な気持ちと相まって、今とは全く違うちょっと暗い、ちょっとネガティブな気持ちで「お参り」をしていました。

そんな時、また別のリスペクトする先輩と話していると、「大丈夫。昔から『お墓さんは”幸せの交換の場所”』って言われている。だから、手を合わせて感謝すれば『ご先祖さま』は必ず幸せを返してくれる。だから、不安にならなくてもちゃんと手を合わせて『ありがとうございます』って気持ちを伝えればOK。」ってことを教えてくださいました。

揺るぎない温かな雰囲気で教えてくださったその言葉が思いっきり心に刺さり、その後の「お参り」は余計なことを考えずにただただ「感謝」を伝える時間として「お参り」をするようになりました。

日の「お参り」は、自分の心を見つめる時間。
ただただ「感謝」をするようになると、不思議なことに、その「お参り」に行って【手を合わせる時間】にだんだんと自分自身が「何に感謝をしているのか?」ってことを見つめるようになってきました。長い時間深く考えるわけではなくて、毎日短時間の「お参り」の中でふと心に浮かぶことがあって、そのことを考える時間になっていきました。

例えば、ご先祖さまのこと、家族のこと、子どものこと、仕事のことなど、頭に浮かんできたことと向き合う…って感じです。決して、絶対しないといけないことじゃないのでふわっとしていて、頭に思い浮かんでいることを日々見ている感じなのですが、毎日の「お参り」の中で、ふと視点が変わっていく瞬間があったり、深く考えることができる日があったりして、自分にとって大切な時間になってきました。

しかも、この【手を合わせる時間】は、完全に自分の中だけの時間なので、他の誰かが入ってくることはないし、時間が制限されるわけでもありません。こうしなければならない…ってこともないので、ただ単に頭に思い浮かんでいることを見つめている…って感じです。ただ、それを毎日続けていると、ある瞬間にふと見えてくる世界がある…ってことがだんだんとおもしろくなっています。

そんな自分を「ご先祖さま」が温かく見守ってくださっている。
この自分が何に感謝をしているのか…ってことを見つめるのは、1人でやっている…というわけではなく、その感謝していることを「ご先祖さま」に伝える…って時間なので、ずっと「ご先祖さま」が見てくださっています。でも、それは何かを指示命令するとか、引っ張っていってくれるとか、そんなことは全くありません。

ただただ、そこにいてボクが自分自身を見つめて、発したことをそのまま聞いてくださっていて、ただただ見守ってくださっている…って、ただそれだけ。だけど、それがすごく温かい…というか、安心できる…というかそんな感じがあります。

そんなことを感じるようになって、「お参り」に行き始めた頃に教えていただいた、リスペクトする先輩の「手を合わせて感謝すれば『ご先祖さま』は必ず幸せを返してくれる。」という言葉が余計に心に響いています。

おそらく、「ご先祖さま」に手を合わせて感謝をする…ということは、同時に、自分の心を見つめる時間になる…ってことになるんだと思います。そしてそこは、誰かに何かを強要されるわけでもなく、誰かが介入してくることもなく、自分のペースで大丈夫で、しかも「ご先祖さま」が温かく見守ってくれている…という安全安心な場所。

おそらく、手を合わせて「ご先祖さま」に感謝するということは、そういった安全安心の場所で、自分自身を見つめることができる時間になる…。そのことが回り回って自分に幸せを運んできてくれるのかもしれないな…と思っています。これから自分の中に、どんな変化が起こるか…ってことも楽しみにしながら、毎朝の「お参り」で「ご先祖さま」への感謝を伝えていきたいと思います。

庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

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