「区切り」があるから見えるもの。

この春で、石屋になって7年目がスタートしました。ボクはこの仕事に出会えて本当によかった…と心から思っています。「お墓さん」のこと、「お参り」のこと、「グリーフケア」のことなど、日々の修行の中で出会う1つひとつに胸がいっぱいになるし、心から感謝しつつ修行する日々です。本当にありがたいです。


これまで6年間、「庵治石」や「お参り」のことについて徹底的に経験しながら、徹底的に調べたり考えたりしてきました。この6年で、ボクなりの捉えが少しずつ生まれつつあります。だけど最近、「お墓さん」ということについて考えるようになってから、頭の中でなかなか考えをまとめられずにいました。このnoteにも、なかなか文章を書くことができず、悶々とする日々が続いていました。やっと最近になって考えがまとまってきたので、久々にnoteにチャレンジしてみたいと思います。

作品を置くと見えなかったものが見えてくる。
「お墓さん」の意味を徹底的に考えてきたけれど、なかなか自分の中でまとまらなかった時に、ふと教員時代の研修で心を奪われた「分節点」という言葉が頭に浮かびました。それは、美術の研修だったのですが、講師だった大学の先生が「分節点」という言葉を使って「何もない場所に作品が置かれるから、これまで見えなかったものが見えてくる。」という話をされました。

作品がなかった時には何もないけれど、作品があることで意味が生まれたり、見え方が変わったりする…というこの考え方が衝撃的で、その話を聞いて以来、ずっと頭から離れず、ずっとボクの心に「分節点」という言葉がありました。「お墓さん」の意味を考えるようになって、この「分節点」という言葉がまたひっかかりました。徹底的に調べている中で、編集者・著述家の松岡正剛さんが「知の編集工学」というご著書の中で「分節」ということについて書かれている…ということに辿り着きました。

松岡正剛さんの言う「分節」とは、「情報や知識は、それ自体では意味を持たない。それらをどう分けて、どう結びつけるかによって、意味が生まれる」とおっしゃっています。つまり「分節」というのは、つまり「区切ること」。「区切ること」でこそ意味が生まれるということです。


もしかしたら、「お墓さん」というのは、大学の美術の先生がおっしゃっていた「あるからこそ見えてくるものがある。」ってこととか、松岡正剛さんがおっしゃるように「分けて結びつけるからこそ生まれる意味がある。」ということが1つの大きな価値なのかもしれないな…と思うようになりました。

今の時代は「死」が見えにくい時代。
ちょっと話は変わりますが、石屋になってから、いろんな方と話を重ねながら、「死との距離」について考えてきました。すると、今は昔に比べると「死との距離」が遠くなっている…ということが分かってきました。

例えば、昔は地域のコミュニティが中心の生活だったり、今と違ってお葬式などを家で行なっていたこともあって、地域の方の「死」を見ることが多かったけれど、今はコミュニティの関係が薄れてきていることやホールなどでのお葬式に代わってきたことで、日常生活の中で「死」について経験することや触れる機会は明らかに減ってきています。ボクらの子どもの頃の時代と、息子たちの時代とを考えても、明らかに違っていると肌で感じています。もっと昔と比べるとそれはもう明らかだと思います。


そして、この「死との距離」についていろいろと調べていると、もっともっと昔だと、医療も発達していなかったこともあって、切迫するくらい「死」が身近にあったから、「どうかうちの家に『死』が近づいてきませんように…」という思いで、お盆やお正月、お彼岸などの行事を大切にしてきた…という話にも出会いました。

つまり、昔は「死」というものがよく見えていたけれど、今は「死」は見えにくくなっているということです。

今も昔も変わらない「大切な方を思う気持ち」。
だからといって、「死」は見なくていいもの…ではありません。大切にしている家族や友人の方も誰だって亡くならない人はいないし、もちろん自分自身も同じ。見えにくいけれど「大切な方の死」というのは避けることはできないし、ボクらの近くにあって、時代が変わっても全く変わることのないものだと思います。

そして、それは本当に大きな出来事。ボク自身もたくさん経験してきましたが、今も、昔も、「大切な方の死」は、本当に大きな悲しみと喪失感を経験することになります。何度も言いますが、そこは全く変わることのないことです。

ボク自身もリスペクトしていた師匠を亡くしてしまった時、師匠のギターを預かって師匠がやっていた音楽を追いかけてみたり、師匠が大好きだったハーレーに乗って全国を旅してみたり…ってことをやっていた時代がありました。でも、今でもよく覚えているけれど、師匠の死のことについて落ち着いて考えて涙を流すことができたのは、亡くなってから10年ほどが経った時でした。


大切な方の死は、その悲しみが大きすぎるが故に、なかなかそのことを見つめることができなかったり、考えることができなかったりする…ということもあると師匠が亡くなってしまった時の経験から痛切に感じています。

そして、大切な方の死は否応なしに誰にだって訪れます。今は「死との距離」が離れてしまっていて「死」が見えにくい時代だし、見ることが難しいことだからといって見ないままでいいか?というとそうではない…とボクは思っています。

「分節点」があるから見えることがある。
そんなことを思っていると、ボクが石屋になって1年が経った頃から、毎朝続けている「お参り」のことが頭の中でつながり始めました。毎朝続けている「お参り」には、ここ1年半ほどは長男も付いてくるようになりました。自分自身が「お参り」をしていても思っていましたが、息子が「お参り」をする姿を見ていて、「お参り」の良さを痛感するようになっています。

うちの家は核家族だったので、家に仏壇はなかったし、お盆とお正月に「お墓参り」にいくくらいなもんでした。でも、石屋になって、改めて「お参り」をしてみると本当に素敵な習慣だということが分かってきました。

そのことを出会った友人に話すと、たくさんの友人が「お参り」をし始めるようになりました。友人たちも本当にその良さを感じているようで、「おばあちゃんとのつながりを感じる大切な時間になっています。」とか「ご先祖さまがあっての自分だと思うようになりました。」とか「感謝の気持ちを感じるようになりました。」など、続々と素敵な感想を伝えてくれます。

今の時代、「お参り」とか「お墓さん」と離れていっているような雰囲気がありますが、ボクらにはご先祖さまや亡くなってしまった大切な方を思う気持ちは、今も昔も全く変わっていないと思います。むしろ「死」との距離が離れている今の時代だからこそ、あえてそういった場所を自分自身の中に持っておくことが必要なのかもしれない…と思っています。

大学の美術の先生がおっしゃっていた「何もない場所に作品があるから、これまで見えなかったものが見えてくる。」という言葉のように、「お参り」という習慣だったり、「お墓さん」だったりを「分節点」として置くことで見えてくるものがあるかも知れないな…と思っています。

庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

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