• 庵治石のお墓さん、荷造り完了!

    出来上がったお墓さんの「荷造り」ができました。お墓さんは、こんな風に1つに組み上げて一気に運べるようにします。もうちょっとでお届けです。心入れて作らせていただいたお墓さん。どうかお届けした先のみなさんに喜んでいただけますように…。今日もボチボチ修行がんばります。

    The finished tombstones are now “NIZUKURI.” The tombstones are assembled into a single unit like this so they can be transported all at once. They’ll be delivered soon. These tombstones were made with great care. I hope that everyone who receives them will be pleased with them… I’ll continue my “SYUGYOU” little by little today.

  • 「庵治石TV!」更新!大丁場で、NHK「小さな旅」のこと話してみました!

    4月12日(日)が近づいてきたので、8年目のスタートのご挨拶とNHK「小さな旅」のことについて、Youtubeでちょっと思いを話してみました!「小さな旅」がたくさんの方に見ていただけて、庵治石の魅力、庵治産地の魅力がたくさんの方に伝わることを願っています。よかったらのぞいてください。今日もボチボチ修行がんばります。
    https://youtu.be/IMZM4JBe-RI

    With Sunday, April 12th approaching, I’ve made a short YouTube video to share my thoughts on the NHK program “Small Journeys” and to announce the start of my 8th year! I hope that many people will watch “Small Journeys” and that the charm of Aji stone and the Aji production area will be conveyed to many people. Please take a look if you’d like. I’ll continue my ”SHUGYO” little by little today.

    https://youtu.be/IMZM4JBe-RI
  • 庵治石はキズとの戦い。

    一面を挽いた後、ひとっさんがキズを入念に確認して墨を引いてくれました。今ある原石から何を採るのか…ってこと、考えて考えて大切に今ある石を最大限に活かしてやっていくこと、しっかり学びたいと思います。今日もボチボチ修行がんばります。

    4月12日(日)は、NHK「小さな旅」にちょっとだけ出演します。ぜひご覧ください!

    https://www.nhk.jp/g/ts/JPN326654N

  • 庵治産地も桜が満開です!

    庵治産地の桜が満開を迎えていて、どこに行ってもキレイな景色に出会えます。うちの隣の公園の桜もほぼ満開で最高です。毎年のごとく、勝手ライトアップしてみました。めちゃくちゃきれいです。しばらく産地の桜を楽しみたいです。今日もボチボチ修行がんばります。

    https://ajistone-hitoshi.com/「庵治石」って?/
  • NHK「小さな旅」に出演!12日(日)放送です!

    NHK「小さな旅」の地上波での放送予定が確定しました!来週日曜日のNHK総合テレビで朝8時からの放送です。チェックよろしくお願いします!

    「庵治石」をテーマに、庵治産地の様子、大丁場の風景、チャレンジする職人の太田眞介さん、庵治石ガラスの杉山利恵さんが出演されます。そしてボクも、藤井彩子アナウンサーが庵治産地で最初に出会った職人として出演します。ほんの数分ですが「庵治石」の説明をさせていただいております。

    素敵な庵治石、庵治産地のことが、たくさんの方に伝わるといいな…と思っております。どうかたくさんの方に観ていただけますように…!

    https://ajistone-hitoshi.com/「庵治石」って?/
  • 「死の講義 二十歳の死生観」の著者である鵜飼秀徳さんとのYoutubeライブ!

    昨日の夜、「死の講義 二十歳の死生観」の著者である鵜飼秀徳さんとのYoutubeライブが実現しました。最後に映像と音声がカタカタとなってしまいましたが、ものすごく興味深い話が聞けた1時間でした。若い世代のみなさんのすばらしい文章が綴られた経緯について教えてもらいました。ずっと話してたい…って思えるくらいでした。アーカイブが見れます。以下のURLからぜひご覧ください。今日もボチボチがんばります。
    https://www.youtube.com/live/w1MqoMA6_WI

    https://ajistone-hitoshi.com/「庵治石」って?/

  • 石屋生活8年目がスタート!

    早いもので、石屋になって8年目がスタートしております。毎年恒例の記念撮影。親方のひとっさんも元気です。本当に素晴らしい仕事に出会えたこと、心から感謝しております。やれることやり続けることしかできませんが、いいお墓さんをお届けできるように、今年も精一杯頑張りたいと思います。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二


    今日の夜21時から「京都正覚寺の鵜飼秀徳さんと『死の講義 二十歳の死生観』について語る!」というテーマでYoutubeライブやります。ぜひお集まりくださいー。

    https://youtube.com/live/w1MqoMA6_WI?feature=share
    今日もボチボチ修行がんばります。

    https://ajistone-hitoshi.com/「庵治石」って?/

  • 石割り場の風景。

    大丁場の石割り場に行くと、いつものように石を割ってくださっているところでした。大きな石に墨を引いたり、割ったりする風景には、いつも感動させられます。置いてある道具たちもなんかかっこいいです。山から頂いた石、大切にお墓さんを作っていきたいと思います。今日もボチボチ修行がんばります。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

    https://ajistone-hitoshi.com/「庵治石」って?/
  • 赤屋島。

    朝イチに久々にキレイな「赤屋島」を見ることができました。八栗さんの方から昇ってくる朝日が屋島に当たって、数分で屋島全体が赤く染まっていきます。圧巻の風景でした。今日もボチボチ修行がんばります。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

    https://ajistone-hitoshi.com/「庵治石」って?/
  • 鵜飼秀徳さんとYoutubeライブで対談やります!

    京都正覚寺のご住職・鵜飼秀徳さんが発刊された「死の講義 二十歳の死生観」という本に感動して、鵜飼さんとやりとりをさせていただいていたところ、Youtubeライブをお願いしたら快く引き受けてくださいました!

    https://youtube.com/live/w1MqoMA6_WI

    めちゃくちゃ楽しみです!ぜひみなさん、お集まりください!

  • 「ご先祖さま」を大切にすることへの若い世代の方の想像以上の反応について。

    石屋になって7年が終わろうとしています。石屋になる前は、小学校教諭だったこともあって、石屋になってすぐは、「こんな時に石屋なんて…。」、「小学校の教師をしてる方が安定してるのに、なんで?」という声をたくさんいただきました。

    「絶対に石屋としてがんばる!」という心意気で始めたものの、石屋になって約1年後、大きく世界を揺るがすコロナ禍がやってきてしまいました。想像もしない出来事が起こってしまったことで、供養の形が大きく変わってしまって、「お墓さん」に関わる業界も大きく形が変わってしまいました。

    「墓じまい」とか「墓ばなれ」という言葉に表されるように、お墓の需要は大きく下がってしまい、「もう『お墓』以外のものを…。」という声も聞こえてきます。

    そんな声の中、リスペクトする先輩から「『お墓参り』にいってみるといい。行けばわかるから…」というアドバイスをいただき、それから毎日「お参り」に行くようになりました。毎朝の「お参り」は、これで6年ちょっとになります。そして、息子がついてくるようになって2年半ほどになります。

    そこで分かってきたのは、「『お参り』には、ものすごくパワーのある!」ってことです。特に、息子の姿を見ていて、「『お参り』は、子どもたちにとって最高のサポーターになる!」ということを確信しています。そして、大人である自分自身にとっても、その良さは多すぎて書き上げ切れないですが、ものすごくたくさんのすばらしいことをもたらしてくれています。

    現状は簡素化の方向へ…実際に、離れてしまっている方々がたくさんいる事実。
    自分自身はそう感じているんですが、やはり実際は、供養に関わること…例えば、葬儀だったり、お墓さんのことだったりも、コロナ禍以降、ものすごいスピードで簡素化の方向に向かっていることを感じています。

    そして、核家族化などの社会の変化の中で、「お参り」から離れてしまっている方々もたくさんいて、実際に話している方からも「『お墓参り』には全くいっていないです。」、「普段の生活の中で手を合わせることはないですね…。」という声も聞こえてきます。

    自分自身が「お墓さん」を作る仕事に命がけで飛び込んだので、あまり言いたくないのですが…思い切って言います。昔から続いてきたこれまでの形は、もうかなり厳しい状況を迎えてしまっている…ということなのかも知れないなと感じています。

    ボクが感じる良さを伝えると若い世代からも反応が…!
    もう終わってしまうもの…のような空気を感じる一方で、自分自身がやっていると「お参り」のものすごいパワーを感じています。それはもう確信に近いものです。ものすごいパワーのあることだ!と思うのに、だんだんとなくなってしまってる…という現実に、うまく説明できないけれど、大きなギャップがあることを感じています。

    そして、もう1つ不思議なことがあります。それは、この「お参り」の良さを周りの方に伝えていると、ものすごくいい反応が多いということ。中には、これまで「お参り」から離れてしまっていて「お墓さん」にもほとんど「お参り」をしていない…という方も、家で手を合わせる時間を作ったり、子どもさんと一緒におばあちゃんの写真に手を合わせるようになったりする方も現れ始めているくらいです。

    社会全体としては、「お墓さん」や「お参り」から離れている…という流れを感じる一方で、自分自身にも子どもたちにもすごい効果があったり、実際に動き出す方がいたりする…ってことを感じています。そして、かなりの確率で、若い世代の方からの反応があります。むしろ若い世代の方が反応がいいといっていいと思うし、完全にお参りから離れている…という方も、興味を持ってくださることが多くあります。ちょっと不思議だとさえ感じています。

    もしかしたら、これは、これまでは当たり前すぎて、言葉になっていなかったことで、その価値を捉えられずに手放してしまっていただけで、価値を確認して捉え直すことが必要なのかも知れないな…と思っています。

    その良さを思いっきり語ることで、言葉にすることで、共感してくださる方は若い世代であってもたくさんたくさんいるということ。心から感じています。もし、その共感が広がっていけば、「ご先祖さま」はじめ亡くなってしまった方との温かいつながりが広がっていくかも知れないな…と思っています。

    これからもできるだけ言葉にして、できるだけ伝えていくことで、本当に大切なことは何なのか…ってことをしっかりと考えていきたいと思っています。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二


    このテーマで記事を書いていたら、すごい本に出会いました!感動して著者の鵜飼さんとやり取りをしていたら、なんと急遽Youtubeで対談していただけることになりました!学生たちがどうやってこの文章を書いたのか、アンケートから見えたことなど、聞きたいことが溢れていて、ものすごく楽しみです!公式Youtubeチャンネル「庵治石TV!」で、4月4日21時〜やります!ぜひみなさんリアルタイムで聞きたいこと聞きまくってくださいねー!楽しみです!

    https://youtube.com/live/w1MqoMA6_WI

  • 「家系図」を作ったことがボクにもたらした感覚のこと。

    うちの家は、昔から「うちの先祖のことは、おじいちゃんまでしか分からない。」ということが当たり前だと思ってずっと過ごしてきました。そして、ボクのおじいちゃんは、亡くなってしまう最期の最期まで、うちの家系のことや「ご先祖さま」のことについて、全く何も語ることはありませんでした。

    その結果、ボクらは、おじいちゃん以前の「ご先祖さま」のことは全く知らないまま、ずっと過ごしてきたし、そんなものかな…って感じで、特に深く考えることもありませんでした。

    だけど、去年のお盆に、仏壇にある位牌を掃除していて、全く知らない「ご先祖さま」のお名前があることに気づきました。石屋になってから、リスペクトする先輩に「いつか家系図を作ったほうがいい。」と勧められていたこともあって、そのタイミングで家系図を作ってみることにしました。

    「家系図」を作ったからこそ見えてきたこと。
    「家系図」を作ってみて分かったことは、「家系図」を作ることは、煩雑で難しいこと…といったイメージが完全に間違っていた…ということでした。令和6年3月の戸籍法の改正で「広域交付制度」というのができていて、住んでいる市町村や勤務先の最寄りの役場や役所にいくと、1か所の市区町村の窓口でまとめて戸籍を取り寄せることができるようになったので、一気に明治初期くらいまでの戸籍を取り寄せられました。

    つまり、シンプルにいうと”ものすごく簡単だった”ということです。

    役所の方が、戸籍を取り寄せるためのメモを作ってくださっていたので、そのまま「家系図」を作ることができました。すると、驚くほど鮮明に、「ご先祖さま」との関係が見えてきたし、なぜおじいちゃんが語らなかったのか…ってことがありありと見えてきて涙が出ました。

    「うちの先祖のことは、おじいちゃんまでしか分からない。」

    ということが当たり前だと思ってずっと過ごしてきたのですが、それは、事情があって「おじいちゃんが語らなかった…」と思い込んでいたのですが、「家系図」を作ってみて分かったのは、「おじいちゃん自身が『ご先祖さま』のことを知ることができなかった…」ということでした。

    「家系図」を作ったことで初めて得た感覚。
    「家系図」を作ってから、約半年が過ぎました。作ってすぐには分からなかったのですが、明らかに前とは違った気持ちになっていることを感じています。これまでは分からなかった、おじいちゃんより以前の「ご先祖さま」が確かにそこにおられたこと、ご位牌に刻まれているお名前、お墓さんの霊標に刻まれているお名前が、どんな繋がりの方なのかが分かるようになりました。

    それが分かるようになって、確かに感じるようになったのは「地面に足がついた感」があるということです。それはもうかなりハッキリと感じています。そして、この感触を感じるようになってはじめて、それまでのことが表現できるようになったのですが、それまでは「宙に浮いたような感覚」だった感じだったんだ…と最近感じています。

    この感覚は、別のことを調べている時に「グラウンディング」という言葉で語られていることを知りました。まさに、ボクが感じた感覚と同じような「地に足がついた感」が、ストレスや不安を和らげる…ということが知られているんです。もしかしたら、ボクは「家系図」をまとめたことで、この「グラウンディング」と同じような感覚を得たのかも…って思っています。

    今、核家族化が進んで、家族の形態が変わってきたことで、「死」との距離が離れてしまっていることや、「お参り」の習慣が薄れてしまっていることなどから、ボクと同じように気づかないまま「宙に浮いたような感覚」になってしまっている人もいるかも知れないな…と思っています。

    「手を合わせる」習慣を持つこと、「家系図」をまとめて先祖のことを知ること、自分のルーツを確かめたりすることは、もちろん「ご先祖さま」のご供養になるんだと思いますが、それ以上に、不安定な自分に気づいたり、不安を和らげたりする…ってこと、自分自身が体験して感じています。みなさんも、ぜひ「家系図」にチャレンジされてみてはいかがでしょうか?

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

    https://ajistone-hitoshi.com/「庵治石」って?/
  • 息子の卒業式に思う…「お参り」の習慣が彼にもたらしたこと。

    今日は長男の卒業式でした。卒業証書を手にして、凛としていた息子の姿を見ていると、涙が止まりませんでした。6年間の思い返すと、4年生の秋からスタートした「朝の『お参り』」のことが思い出されます。

    バスケットをがんばっていたある日、腰の痛みを訴えて受診すると、診断は「疲労骨折」。スポーツ禁止を言い渡されてしまいました。あまりの事実に号泣…。そして、家族全員がどん底…って時にボソッと一言。

    「おとうと一緒に『お参り』に行く。」

    ボクが毎日続けていた朝の「お参り」についてくる…と言ったのでした。その日から、毎日の「お参り」を続けました。怪我が治ってからも、今で約2年半。彼は、毎日の「お参り」をやり切って、小学校を卒業しました。

    息子が手を合わせる姿から学んだ「お参り」のすごさ。
    真摯に手を合わせる息子の姿から、ボクはたくさんのことを学ばせてもらいました。息子の姿を見てきて、今はっきり言えることは「『お参り』は子どもにとって最強のサポーター!」だということ。息子の横で考えたことがつながって、とことん「お参り」について学んでいますが、さらにその思いが強くなっています。

    「お参り」にいき始めた当初、おそらく息子は「ご先祖さま」にずっと「ケガが治してください。よろしくお願いします…。」とお願いを続けていたんだと思います。そして、その思いを「ご先祖さま」はそのまま受け止めてくれて、毎日毎日彼の願いを聞き続けてくれたのでした。

    その姿を見ていて、教師をしていた時に学んだ「カウンセリングマインド」の話が重なりました。「カウンセリングマインド」のキーワードは3つ。「受容」・「傾聴」・「共感」です。まさにそのままを、毎日の「お参り」で「ご先祖さま」がやってくださってたんだと思っています。

    そして、ケガが治った日に、彼は「『ご先祖さま』にお礼に行く。」と言って、真っ先に「お参り」に行ったのでした。彼の心の中に、確かに「ご先祖さま」という存在がいて、彼をとことん応援してくれて、とことん支えてくれているんだ…ってことを感じています。

    この前、NHKさんの「小さな旅」(4月中旬放送予定)で「お墓参り」の撮影をしてもらった時も、ディレクターさんからのインタビューに「支えてもらっています。」とハッキリ答えていました。残念ながら、「お参り」のシーンは全てカットされてしまいましたが…。

    「お参り」の良さについて話すと、たくさんの反応が…!
    そして、この息子が「お参り」をする姿から考えたことや思ったことについて話してみると、思った以上に反応があることが分かってきました。特に、若い世代のみなさんに話した時の反応は想像を遥かに超えています。すごいんです。

    若い世代は「お参り」からは離れている…という話を聞くことがありますが、そんなことはないと思います。むしろ、息子の「お参り」の話は、若い世代の方こそ思いっきりちゃんと聞いてくれるし、若い世代の方が真剣に考えているかも…と感じることさえあります。

    中には、ボクの話がキッカケで、家で手を合わせるようになった方や、お子さんと「お参り」を始める方もいます。「お墓離れ」が進んでいる…という流れと反対のなので、若い世代の皆さんの反応にはちょっとびっくりしています。

    反応がいいこともあって、論文や書籍でこのことを調べていると、世界的にも、こういった動きが進んでいることが分かってきました。祖先のことを思ったり、ルーツを調べたり…といったことが大切にされる…ってことが増えていきているみたいで、もしかしたらこれからこういったことが大切にされる流れがやってくるのかもしれないな…ってことも感じています。しっかり学んで、またみなさんにシェアしたいと思います。

    卒業式の日に…改めて「ご先祖さま」に感謝!
    卒業式の朝も、息子と一緒に「お参り」に行きました。手を合わせている息子の姿を見ていると、これまで2年半ほどの毎日の「お参り」で、たくさんのことを「ご先祖さま」と話してきたんだろうな…って思いました。ケガをしてしまった時などしんどいこともあっただろうし、大きな大会を前に緊張したこともあっただろうし、うれしいことも、悲しいことも、「ご先祖さま」と話してきたんだろうな…と思いました。

    そして、そんな彼を見ていると、これまで「ご先祖さま」は、ずっと彼を応援してくださっていて、支えてくださっていたんだろうな…と改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。もしかしたら、中学校になると、なかなか今までみたいには「お参り」に行けなくなるかも…だけど、これからもずっと見守ってもらえたらいいな…と思いました。

    卒業式で凛としてがんばっていた息子の姿を見ていると、涙があふれて、胸がいっぱいになりました。そして、見守ってくださってる「ご先祖さま」にも改めて感謝の気持ちで胸がいっぱいになり、涙があふれてしまいそうになりました。本当にありがたいです。

    今日から、春の「お彼岸」が始まりました。「お彼岸」は、「ご先祖さま」や亡くなった方に最も心が届く時…。この「お彼岸」の間に、改めて息子を連れて「お参り」に行きたいな…と思っています。そして、心から「ご先祖さま」に感謝を伝えたいと思います。

    庵治石細目「松原等石材店」 3代目・森重裕二

    https://ajistone-hitoshi.com/「庵治石」って?/
  • 小学校の時に、おじいちゃんと戦争の話を聞かせてもらった話。

    石屋になって7年になります。縁あって、リスペクトする先輩に勧められたことをキッカケに、毎朝「お参り」するようになりました。石屋になってしばらくしてから始めたので、もうかれこれ6年になります。途中から、4年生だった長男がついてくるようになって、2年ちょっと。長男も6年生にになり、4年生の次男もついてくるようになりました。

    子どもたちの様子を見ていると「『お参り』は子どもにとって最強のサポーター!」だということを本気で思っていて、いろんな方に伝えるようになっています。そんな中、これまでの研究について調べている中で、ご先祖さまのことを意識できることや、家族がどんな人生を送ってきかを知っていることが、子どもたちの育ちにいい影響があるらしい…という話と出会いました。

    「お参り」をしていると、息子のひいじいちゃんやひいばあちゃんの話になることがちょくちょくあるので、それもまたいいんだろうな…と思っていると、ふと自分自身が、おじいちゃんから戦争を話を聞いた時のことを思い出しました。

    夏休みの宿題でおじいちゃんに「戦争」についてインタビュー。
    ちょうど息子と同じ6年生の時、長崎のおじいちゃんの家に1人で行っていた暑い夏の夜のことでした。おじいちゃんと2人、ちゃぶ台で話をしていました。「戦争のことを教えて。」って伝えると、いつもは満面の笑顔のおじいちゃんが、ちょっとうつむいてしまいました。そして、おもむろに話し始めてくれました。

    戦争はしたらいけんこと。悲しかこと。

    そういって、しばらくだまってしまいました。そして、たくさんの仲間が亡くなってしまったこと、自分が生き残ったことについて、涙ながらに話してくれました。小学校6年生だったボクは、いつもと違うおじいちゃんの様子に戸惑いつつ、真摯に話してくれるおじいちゃんのことを一生懸命に受け止めようとしていたことを思い出します。

    おじいちゃんは、戦争の厳しい現実について、さらに語ってくれました。敵の兵士が銃を持って迫ってきた時のことも、おじいちゃんの気持ちや仕方がなかった…と言いながら、その後のことも話してくれました。おじいちゃんの涙、表情を見せてもらったことで、戦争の現実を教えてもらえた時間でした。今、この年になっても、この日の夜のことをありありと覚えています。

    おじいちゃんの話について、今だから思うこと。
    もしかしたら、この話をインタビューすることは、小学生には酷な話…と感じるかも知れませんが、これだけのことを語ってくれたおじいちゃんにその当時も感謝していたし、今思い出すとさらに感謝の気持ちが湧いてきます。そんな大変な状況を乗り越えて、そこにいてくれるやさしいおじいちゃんのことを心から大切に思ったことを思い出します。

    実はその時に、おばあちゃんにもインタビューをしました。おばあちゃんは、長崎の原爆の被爆者で、原爆が落ちた時の様子や下から見たキノコ雲は、なすびみたいな形をしていた…って話をしてくれたことが頭に残っています。

    あの夏に、おじいちゃんとおばあちゃんから聞いた戦争の話は、どんな資料よりも鮮明に頭に残っているし、その後のボク自身の人生に大きな影響を与えていたことは間違いありません。今になって、あの宿題を出してくれた当時の担任の先生に感謝の気持ちでいっぱいになっています。あの宿題がなかったら、あの時間はなかったから…。

    当時のボクと今の息子を比べてみる。
    この話を思い出しながら、当時のボクと長男が同じ歳だということに気づきました。息子は今、ボクがおじいちゃんから聞いたような戦争の話を聞かせてもらう機会はないだろうし、もしかしたら、そんな雰囲気さえ感じることができないかもしれません。

    そう考えると、今の息子たちが、おじいちゃんやおばあちゃんから、いろんな話を聞いてほしいな…って思います。ボクにとっては、戦争の話がものすごく印象的だけれど、そうじゃなくてもおじいちゃんやおばあちゃんが小さかった頃の話やどんな学生時代を過ごしたのか…ってこと。どんな風に仕事をしてきたのかってことや、息子たちが生まれてどんなことを思ったのか…ってことなど、たくさん聞いてもらいたいな…って思っています。

    もう少し勉強しないといけないけど、家族がどんな人生を送ってきかを知っていることが、子どもたちの育ちにいい影響があるらしい…という話もあるので、ボクと妻の両親、つまり息子たちのおじいちゃん、おばあちゃんにはあえて昔のことを話して聞かせてあげてほしいってお願いするつもりです。

    そして、日々の「お参り」に行く中で、できるだけボクの知っている今は亡きおじいちゃん、おばあちゃんのことも話して聞かせてあげたいと思います。そうやってボクが大好きだったおじいちゃんやおばあちゃんのことを、たくさん話して聞かせることで、おじいちゃんやおばあちゃんも、息子たちのことを見守ってくれるといいな…と思っています。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

    https://ajistone-hitoshi.com/「庵治石」って?/
  • おじいちゃんが大好きだった「うなぎ」の話から考える”温かいつながり”のこと。

    石屋になって6年ちょっと、毎朝の「お参り」を続けています。息子もついてくるようになって、2年ちょっと。真摯に「お参り」する息子の姿を見ていると「ご先祖さま」に感謝する「お参り」を重ねて、「ご先祖さま」との繋がりを持つことは「子どもたちにとって最強のサポーターになる!」ってことを心から確信しています。

    やればやるほど「間違いなくいい!」ってことが目に見えてきていますが、「お参り」のことを調べれば調べるほど科学的な根拠も見つかりつつあります。そんな「お参り」のこと、チャンスがあれば必ずその良さを伝えるようにしています。

    おもしろいのは、「お参り」のこと、そして「ご先祖さま」との繋がりの話を伝えると、その話を聞いてくださった方がいろんな話を教えてくれます。特に最近驚いているのは、若い世代の方々が「ご先祖さま」との話について、熱く教えてくださる…ってことです。

    特に、若い世代の方はおじいちゃんとかおばあちゃんの話をよく教えてくれます。みんな心の中に大切に思っている方がいて、その方との思い出やつながりを大切に大切に心の中に思っているんだな…ってことを感じています。
    確かにボク自身も、大好きだったおじいちゃんのこと、おばあちゃんことはいつも心にあって、温かく包んでもらった思い出は、いつも心にあります。

    大好きだったおじいちゃんと一緒に「うなぎ」を食べる。
    いつものように出会った方に「子どもたちにとって『お参り』は最強のサポーター!」ってことを伝えていると、ある方が最近亡くなってしまった大切なおじいちゃんのことについて教えてくれました。

    その亡くなってしまったおじいちゃんは「うなぎ」が大好きだったそうです。その亡くなったおじいちゃんの話をしていると、家族みんなでまた「うなぎ」が食べたいね…って話になったそうで、みんなでおじいちゃんの大好きだった「うなぎ」屋さんに行ったんだそうです。

    その日、おじいちゃんの写真が入った写真立てを持って、おじいちゃんが大好きだった「うなぎ」屋さんに…。そして、おじいちゃんの写真立てを囲んで、みんなで「おじいちゃん、美味しいね。」って言いながら、みんなで「うなぎ」をいただいたそうです。

    話を聞いているだけだったけど、本当に素敵な光景が浮かんできて、本気で泣きそうになりました。「うなぎ」を食べているみなさんの笑顔。そして、亡くなったおじいちゃん、おばあちゃんのお写真。おそらく、喜んでおられてニコニコとしておられるおじいちゃん、おばあちゃん…。本当に素敵だな…って心が温かくなりました。

    大切な方が亡くなってしまうことは本当に悲しいことです。だけど、残されたボクらはその大切な方を思うことはできるし、ボクら次第でそばにいてもらうことはできる…。ボクに大切な話を教えてくださった方のように、一緒に「うなぎ」を食べに行くことだってできる…。本当にステキです。

    亡くなってしまってからも”温かいつながり”が生まれる。
    この「うなぎ」の話を聞かせてもらってから、亡くなってしまった方との”つながり”のことをずっと考えています。そして、18年前に亡くなってしまったボクが最もリスペクトする師匠のことを思い出しています。

    師匠は、18年前に本当に突然亡くなってしまいました。本当に突然亡くなってしまったので、悲しくて、悲しくて…。これまでずっと心に思ってきたけれど、ずっとずっと悲しい思いを抱えていました。そんな悲しい思いの中でも、師匠はボクに力を与え続けてきてくれたし、支え続けてきてくれました。

    大切なおじいちゃんと「うなぎ」を食べに行った話を伺って、笑顔でおじいちゃんの写真を囲んでおられたことを伺って、もしかしたらボクは師匠のことを思ってずっと涙してきたけど、もしかしたらボク次第でまた師匠との新しい関係を作っていくこともできるかも知れないな…って思うことができました。

    今度、師匠の写真と一緒にゆっくり焚火をしながら、師匠とビールを飲みたいな…と思っています。「うなぎ」屋さんの話を聞いてそんな風に考えられたのですが、ボクの中で今までとはちょっと違う笑顔の師匠の顔が浮かんできました。そんな師匠の笑顔を思っていたら、なんだかこれまでとはまた違う不思議な”温かさ”を感じている自分がここにいます。

    大切な方が亡くなってしまうのは、本当に悲しいことだけど、残されたボクら次第で、また”温かいつながり”を作っていくことができるのかも知れないな…って感じています。そして、それを子どもたちにも話して聞かせて、みんなで大切にし合う…そんな”温かいつながり”を作っていけたら、みんなが温かい空気に包まれて、みんな幸せになっていくかも…と思っています。

    いろいろ感じることがあるけど、これからも息子たちとの毎日の「お参り」を続けていきたいと思います。手を合わせることを続けながら、亡くなってしまった方との”温かいつながり”のこと、もう少し考えていきたいと思います。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

  • 「お参り」でお賽銭を投げていた次男が、真摯に手を合わせた朝のこと。

    長男と一緒に「お参り」をするようになって2年半ほど。真摯に手を合わせる長男の姿を見てきて、「『お参り』は子どもにとって最強のサポーター!」だと心から思うようになりました。本当に最高の教育だと言っても過言ではないと思っています。

    ことあるごとに「お参り」に行こうとする長男の姿を見ていると、全てを受け入れ、どんなことを話しても温かく聴いてくれて、とことん応援してくださる「ご先祖さま」の存在を心の中で感じ、対話をすることは、おそらく彼らを支える大きな存在になっていると思っています。

    このことを周りの方に伝えると、たくさんの方が、子どもさんと一緒に手を合わせる時間を作るようになりました…っていうメッセージを届けてくださいます。そして、僕と同じような感想を送ってくださいます。「ご先祖さま」に感謝して手を合わせる…ということのパワーを日々感じさせてもらっています。

    次男はずっと「お参り」に行きたくなかった…
    長男が「お参り」を始めたのは、大きな怪我がキッカケでした。何もできることがない…、やれることがない…という状況の中で、「神頼み」のようなイメージでのスタートでした。

    だけど、続けているうちに、確実に彼にとって大切な存在になっていったんだと思います。先日、「お参り」しているところを取材された時のインタビューには「『ご先祖さま』に支えられている…」と答えていていました。それくらい、彼にとっては大きい存在なんだと思います。

    一方で、次男や三男は、そこまでの大きなキッカケもなく、お父さんとお兄ちゃんが行ってるから…っていうぐらいで、そこまでやる気がありませんでした。怪我をして1週間ほど休んだことがあって、その時は家族みんなから「怪我をした時くらいは『ご先祖さま』に治るようにお願いしておいで!」って言われて、ブツブツ言いながら「お参り」についてきました。

    イライラしていたのか、次男は、氏神様の前でお賽銭を思いっきり投げつけました。そんな次男を、その場で厳しく叱りました。神様の前でこんな姿を見せるものどうか…と思いましたが…。思いっきりそのままの気持ちを伝えました。次男は、その後も「お参り」に行くと、いつもなんだかイライラしていた感じがしていたし、なんだか怒っている感じがしていました。

    バスケットの試合の朝の出来事から…
    ある朝、朝が早かったこともあって、バスケットの試合に出発する前になかなか準備ができなかった上に態度が悪かったので、お母さんから厳しく叱られ、泣きながら試合に行った日がありました。帰ってきてからも、試合中の態度のことをお母さんから注意をされ、また泣いていました。

    ただ、ゆっくりとビデオを見直してみると、予想に反してものすごくがんばっていた次男の姿がありました。実は、普段の自主練もがんばっていて、だんだんと実力が上がってきている次男。この日の夜、たまたま話す時間がとれたので、次男とゆっくり話しました。

    「せっかく上手くなってきているのにもったいない。周りの人のせいにしないで、やることやったり、感謝を伝えたり、自分の行動を変えることで、もめることもなくなるはず…。そうすれば、もっと上手くなれるための話ができたり、落ち着いて試合に向かえるはず…。イラッとしてもちょっと堪えたり、言葉で気持ちを伝えたりする練習をしていかないと…。」
    と話すと、いつもは怒って聞いている次男が、めずらしくしっかりと聞いていました。

    「『お参り』に行こうとすると、朝は誰だって眠たいし、行きたくない気持ちになることもあるけど、ふんばって『お参り』に行くのは、たぶん気持ちをコントロールする練習になるはず…。ご先祖さまに感謝を伝えに行けば、間違いなく応援してくれるし、見守ってくれるから…。しっかり『お参り』できたら、絶対上手くなれるはず…。」
    って伝えると、大きく頷いていました。

    翌日、次男ひとりでしっかり「お参り」!
    翌日は、長男が体調不良で「お参り」はお休み。次男は、ちょっとウジウジしながらも「行く。」と自分で着替えました。いつもとはちょっと違う雰囲気で。そして、あれだけいつもイライラしていたのに、おだやかにいろんな話をしながら、氏神様とお墓さんでしっかりと「お参り」することができました。

    「お参り」が終わった後、思わず思いっ切り抱きしめて、「やったな!」って大きな声でさけんでしまいました。そして、はにかんだ笑顔の次男とグータッチ!…正直ちょっと泣きそうでした。帰りの車でも、いろんな話をしながら、やわらかく微笑んでいる次男がいい感じでした。

    なんてことのない「お参り」が子どもたちの近くにあることで、子どもたちとたくさんのことを学ばせてもらえるのかも知れないな…って感じさせてもらっています。いろんなことがあるけど、たぶん「ご先祖さま」は、いい時も悪い時も、温かく子どもたちを見守ってくださっているんだと思います。

    そして、子どもたちを見守ってくださっているだけでなく、子どもたちとぶつかったり、笑い合ったりして、「お参り」に連れて行っているボクのこともまとめて応援してくださっているような気がしています。ホントありがたいです。また、明日の朝の「お参り」で、改めて次男と一緒にお礼を伝えてきたいと思います。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目・森重裕二

    https://ajistone-hitoshi.com/「庵治石」って?/
  • 「ご先祖さま」になる勇気。

    ボクは、九州長崎出身の親に育てられたこともあってか、おじいちゃん、おばあちゃんだったり、お姉ちゃんだったり、師匠だったり、友人だったり…これまでに亡くなったみなさんに手を合わせることを大切に思ってきました。

    おそらくそれは、小さい頃からお盆に長崎に帰省すると「精霊船」で初盆の方を送ったり、提灯が飾られたにぎやかな「お墓さん」のところで花火や爆竹をしたり…って文化の中で育ってきて、みんなが「お墓参り」とか、仏壇に手を合わせることを大切にしていたからかも…と思っています。

    そして、石屋になってから、この「お参り」と向き合うようになりました。リスペクトする先輩に勧められて、毎朝の「お参り」をするようになって、その良さをさらに感じるようになっています。そして最近は、毎日のように一緒に「お参り」に行くようになった息子たちの姿を見ていて、「『お参り』は子どもたちにとって最強のサポーター!」だってことを確信しています。

    真摯に手を合わせる息子たちの姿を見ていると、「ご先祖さま」は、いつも温かく見守ってくださっていて、話を全部聞いてくれて、とことん応援してくださる本当に心強い存在だ!と思っています。このことに気づいてから、知り合いの方や産地見学に来られた方に、この話をいつも伝えています。

    すると、聞いてくださった方の多くが「手を合わせるようになったよ!」とか「子どもを連れて『お参り』に行くようになりました。」などの声が届いていて、とてもうれしい気持ちになっています。どうか、子どもたちが温かく育っていくことに貢献できたらいいな…と思っています。

    次の世代の「ご先祖さま」はボクら
    そんなことを思いながら、息子と「お参り」をしている時に、ふと「いつか自分も手を合わせてもらうようになるかも…」って思ったことがありました。今まではあまり考えたことがなかったけど、もうそんなに遠くない未来に、そんなことが起こるかもしれないな…と考えていると、これまで使ったことがない言葉が頭によぎりました。

    「自分も『ご先祖さま』になる。」

    そう、ボクらも息子たちや、もっと先の世代から見ると「ご先祖さま」になります。自分や息子たちが、たくさんたくさんパワーをいただいている「ご先祖さま」に自分もなれるのかな…って、ちょっと不安な気持ちになったりもするけど、確かにそうなるな…って思っています。

    去年のお盆から、今年のお正月にかけて、うちの両親からの戸籍を辿って「家系図」を作りました。そこには、たくさんの今まで知らなかった、ご先祖さまのお名前があって、ボクはたくさんの「ご先祖さま」とのつながりの中で生まれてきたんだな…ってことを感じています。

    自分もこれからの世代の「ご先祖さま」。ボクがパワーをいただいているように、息子が温かく見守っていただいているように、これからの世代のみんなにしっかりとパワーを送れるようにがんばりたいな…と思っています。

    勇気を出して、次の世代の「ご先祖さま」になることを引き受ける。
    7年前に石屋になって間もなくコロナがやってきてしまって、お葬式やお墓についての考え方は大きく関わってきていることを感じています。「お墓さん」の需要も大きく変化してきていて、「お墓さん」を作る庵治産地の雰囲気は、ボクが石屋をやり始めた頃から見ても、間違いなく大きく変わってきています。

    そんな中、知り合いの方と話していると「自分なんて、手を合わせてもらわなくてもいい。」とおっしゃっている場面と出会いました。詳しく聞いてみると、散骨など形を残さないようにしたい…ということでした。理由を聞いてみると、子どもたちやその先の世代に、迷惑をかけたくないから…という話でした。

    その話を聞いた時に、うちの息子たちが手を合わせている姿が頭をよぎりました。ボクはもちろんそうだし、おそらく息子たちも、迷惑だとは思っていません。むしろ、パワーをいただいている…って思っています。「ご先祖さま」はいつもこっちを向いて見守ってくださっている…って感じています。

    ずっと考えているのですが、ボクも確かにちょっと不安だったり、そんなことをしてもらわなくても大丈夫だ…って思ったりするな…と思いました。だからと言って、もし自分が「ご先祖さま」として、そこにいなければ、次の世代の子たちが、うちの息子たちみたいにパワーをもらえることはないかもな…と感じます。

    「自分なんて、手を合わせてもらわなくていい。」とおっしゃった方の言葉から、このことについて考えさせてもらったおかげで、ボクは今まで考えたことがないことを考えることができました。今の意見としては、ボクは遠慮なく「ご先祖さま」になったらいいんじゃないかな…と思っています。ちょっと勇気がいるし、もしかしたらちょっとめんどくさい…って感じるかもしれないけれど、「ご先祖さま」になることを引き受けて、次の世代とのつながっていく方を選ぶことのほうが、次の世代は幸せになるんじゃないかな…と思っています。

    息子たちと「お参り」に行きながら、自分自身が「ご先祖さま」にいただいていることと、自分自身がこれからの世代の「ご先祖さま」になって何ができるのか…ってことについて、考え続けていきたいと思います。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

  • 「家系図」を作って、親戚と「ご先祖さま」のことを話して感じたこと。

    ボクのおじいちゃんは「ご先祖さま」のこと、つまりおじいちゃん以前の代のことを全く語らずに亡くなりました。おじいちゃんが健在だったころから、3代前以前のことは分からない…ってことを両親から聞いていて、「そうなんやな…」と、特にそれ以上考えることもなく過ごしてきました。

    石屋になってから、仕事柄、ご位牌に触れる機会も増えてきたこともあって、この前のお盆に仏壇の位牌をキレイに拭かせてもらいました。おじいちゃんとおばあちゃんのご位牌を拭いていると、おじいちゃんとおばあちゃんとの思い出がたくさん出てきて、ちょっと泣きそうでした。

    そして、次に立派なご位牌を拭いていると、中からたくさんの方の戒名などが書いてある板が出てきました。それまで知らなかったのですが、これは「繰出位牌(回出位牌・くりだしいはい)」と呼ばれていて、ご先祖様のお位牌が増えてお仏壇に収まりきらなくなった時に、位牌を一つにまとめるための箱型の位牌でした。

    あまりに、当たり前の光景だったので、ボクだけでなく、いつも家にいる両親も、親戚もその「繰出位牌」の中に「ご先祖さま」のお名前が入っていることを知らなくて、みんなが驚いていました。そして、その中のお名前を見ても、両親もそのみなさんのことが分からなかったようで、「家系図」を作る決意をしました。

    「家系図」を作ることは難しいことじゃない。
    やってみて分かったことですが、「家系図」を作るって、とても大変なこと…ってイメージをお持ちの方もおられると思いますが、実はそんなことはありませんでした。市役所に行って、窓口で「家系図を作りたいのですが…」と相談しただけで、必要な書類を取り寄せていただけたのです。

    調べてみると、実はちょっと前までは、家系図を作る時に必要な「 戸籍謄本」や「除籍謄本」については、その戸籍がある市役所や役場に直接申請する必要があったそうです。つまり、「ご先祖さま」がいろんな地域におられたら、それぞれのところに申請する必要があった…ということ。ですが、令和6年3月1日の戸籍法改正で、本人、配偶者、直系尊属(父母・祖父母など)、直系卑属(子・孫など)の分であれば、市役所で取り寄せることが可能になったそうです。

    そして、取り寄せた「戸籍」から、それぞれのつながりを読み解いていけば「家系図」を作ることができます。ボクの場合、市役所の方が取り寄せる時のメモを作ってくださっていて、それもいただけたので、本当にすぐに「家系図」を作ることができました。

    「家系図」を作ることで見えてきた「ご先祖さま」のストーリー
    自分が作った「家系図」には、「ご先祖さま」のお名前、生年月日、死亡年月日を記入して見ました。すると、それぞれの方の関係がありありと見えてきました。特に、何も語らずに亡くなってしまったおじいちゃんのストーリーが驚くほど鮮明に見えてきました。

    おじいちゃんの人生に涙が溢れてきたし、何も語らなかったおじいちゃんのことを何だか全く違った形で理解することができて、改めて感謝の気持ちが溢れてきました。他にも「ご先祖さま」の存在を知ることができて、何だか自分自身のことについても改めて考えることができました。

    そして、この年末に帰省し、改めて「繰出位牌」を見てみると、すべての方がどういう方かということが説明できるようになっていました。何だか胸がいっぱいになっていました。そして、新年になって「お墓参り」に行くと、また新たな感覚がありました。

    小さい頃から「お参り」に行くたびに、霊標に刻まれている全く知らないお名前を見て「この名前って誰だっけ?」ってぼんやり思っていたけれど、全ての方がどんな関係の方なのかを説明できるようになっていました。今回の「家系図」を作ったことで、自分の「ご先祖さま」の存在を、改めて認識することができました。

    おじいちゃんのストーリーを親戚に語ったことで感じたこと。
    親戚のみんなも、ボクと同じように、おじいちゃんが多くを語らなかったことだったり、ぼんやりとそれ以前のことは分からない…と思い込んでいたりで、特に深く調べたり、話したりはして来なかったそうです。「繰出位牌」についても、あることさえ気にもしていなかった…とのこと。みんな、ボクと同じでした。

    そんな親戚のみんなに、作った「家系図」を見ながら、ボクが調べて分かったおじいちゃんのストーリーを語ってみました。みんな興味津々で聞いてくれました。なぜ、おじいちゃんが多くを語らなかったのか…、おじいちゃんはどういう人生を送ったのか…ってことが分かったことで、ボクがストーリーを語らせてもらった後、みんなで改めておじいちゃんのことについて話しました。

    そして、しばらく「家系図」を見ながら、ボクらの知っているおじいちゃん、おばあちゃんのもっと上の「ご先祖さま」のお名前を見ながら、しばらく話し込んでいました。おじいちゃんのことを改めて考えることができたし、当時のみなさんのことに思いを馳せることができて、それをみんなで共有することができて、なんかとってもいい時間でした。

    今回、みんなで「家系図」を囲んで話をしてみたことで、それぞれの方が知っている情報が少しずつ集まってきたり、これからお寺さんに聞きに行ってみようか…って話になったりして、またさらに話すきっかけになりそうな感じです。また、これからのお盆とお正月の帰省が楽しみになりました。

    もしかしたら、「ご先祖さま」のことを知らなくても、特に問題なく生きていくことはできるかも知れません。でも、「家系図」を作ってみて分かったことは「ご先祖さま」のことを深く知ることができる…ってこと。そして、それは、改めて自分自身を見つめ直すきっかけになる…ってことを感じています。

    今年も毎朝の「お参り」を続けていくつもりです。そして、今回改めて知った「ご先祖さま」のみなさま、そして特に大好きなおじいちゃんに感謝を伝えたいと思います。そして、一緒に「お参り」に行くうちの子たちにも、「ご先祖さま」のことを語っていきたいと思います。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

  • 息子が引いた「おみくじ」が教えてくれたこと。

    我が家では、お盆とお正月は、決まって九州の長崎雲仙に帰省しています。今年も、毎年のことながら、いつものように家族で初詣に行きました。我が家の初詣は、年越しをする帰省先の長崎雲仙の「諏訪神社」、そして帰り道にある「橘神社」、そして香川に帰ってきてから地元の「八栗さん」と3ヶ所に「お参り」します。

    そして、初詣に行くと必ず「おみくじ」を引くことにしていて、ボクはいつも、その「おみくじ」に書いてあることを大切にしてきました。これまでからずっと「おみくじ」は必ず、今必要なことを教えてくださる…と信じています。

    今年は、厳しいことで有名な「八栗さん」でも「大吉」。3ヶ所とも「心を平和にして、他の人のために尽くして辛抱すれば、必ずいい風が吹く…」といったことが書いてあって背中を押された感じがしています。これから、いい1年になるようにがんばりたいと思います。

    息子が引いた「おみくじ」にあった言葉
    年長の三男は、まだ「おみくじ」の内容が分からないので、いつも一緒に読むことにしています。ボクの「おみくじ」に共通したことが書いてあったように、三男の「おみくじ」にも驚くことに同じような内容が書いてありました。それは「他人にやさしくすること、心正しくいないと良くない。」ってことでした。

    特に、橘神社の子どもみくじでは「心優しくしていないと、災いが起こる。」といった内容で、普段から三男に言い続けていることだったので、「もしかしたら神様は見ているのかも…」って話になって、その直後から「ちゃんとする。」とちょっとビビって頑張っています。

    そんなちょっとビビっていた息子に、「神様は見てるから、ちゃんとしないと…。」って話をしていると、次男がちょっと「神様は全部見てるから、かしこくしとかないとあかんねんで。」と話していました。そして、いつも「お参り」に行ってる長男が「そやで。だから『お参り』に行かないと…やで。」と話しているのを見ていて、ふと気がついたことがありました。

    「神様」と「ご先祖さま」という2つの存在の違い。
    長男と「お参り」に行っていて、いつも思っているのは「子どもにとって『ご先祖さま』は最強のサポーター!」ってこと。どんなことがあっても、ずっとそばで見守ってくれていて、応援をしてくださっている…って思っています。

    だけど、「おみくじ」を引いた息子は、おそらく「『神様』から見られていて、ちゃんとしないといけないことを厳しく指摘されている…」って感じだと思います。この感じは、いつも「お参り」をしていて「ご先祖さま」のことを考えている時には感じないことです。「ご先祖さま」は、どちらかというと「厳しい」という感じはしません。だけど、「神様」は、ちゃんと見てくださっていて、厳しいことも教えてくださる…って感じです。この違いが本当におもしろいな…と思いました。

    ちょっとビビっていた三男に「神様はちゃんとしていないことを全部お見通しなんやで。がんばらないとね。」って話してみると、大きく頷いていました。そして、「『ご先祖さま』は、ちゃんと見ていてくれて、応援してくれるから、ちゃんと助けてもらえるように『お参り』に行こうな。」というと、また大きく頷いていました。

    心の中に自分を見守ってくれる2つの存在を持つことのパワー。
    息子の姿を見ながら、この「神様」と「ご先祖さま」という2つの子どもたちを見守ってくださる存在について考えました。「神様」は、全てを見通してくれて、厳しくも正しい道を教えてくださる存在。そして、「ご先祖さま」は、全てを受け入れてくれて、ずっとそばで温かく見守って応援してくださっている存在。

    もしかしたら、このずっとそばで自分自身を見守ってくださる、厳しい「神様」と温かい「ご先祖さま」という2つの存在を心の中に持っておくことで、子どもたちはちゃんと育っていくのかもな…って思いました。おそらく、子どもたちだけでなく、ボクら大人もこの2つの存在を心に持っておくことで、しっかりと生きていけるのかもしれないな…と思います。

    息子たちとの「お参り」から、本当にいろんなことを教えてもらっています。今年の初詣の「おみくじ」から教えてもらったことも大切にしながら、今年もしっかりと息子たちとの「お参り」を続けていきたいと思います。

    新しい年になりました。改めて、あけましておめでとうございます。今年も「庵治石」のこと、「庵治産地」のこと、「お参り」のこと、そして「グリーフケア」のことを出来る限り発信していきます。お時間あれば、ぜひ庵治産地にも遊びに来てくださいね。今年もどうぞよろしくお願いします。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

  • 「お参り」を続けることでもたらされる優しさのこと。

    石屋になってから、リスペクトする先輩に勧められて、毎朝「お参り」に行くようになって約6年になります。この毎朝の「お参り」の時間は、本当に自分にとって大切な時間になっています。

    そして、長男が毎朝ついてくるようになって、2年が過ぎました。最近は、次男もついてくるようになりました。息子たちがついてくるようになったことで、さらにボクにとっては「お参り」が本当に大切な時間になっています。

    怪我がキッカケで始まった息子との「朝参り」
    長男が「お参り」についてくるようになったキッカケは、2年前の夏に腰に大きな怪我をしてしまったことでした。疲労骨折という診断で、3ヶ月の安静を余儀なくされました。その時は、それほど重大に思っていなくて3ヶ月経ったら治る…って楽観的に思っていました。

    しかしながら、3ヶ月後の診察で、うちの家族はどん底に突き落とされました。十分に治っていなくて、そこからさらに3ヶ月の安静を言い渡されてしまったのでした。号泣する息子、そして妻…。弟たち2人も含めて、全員で本当に落ち込みました。

    その彼が、涙を拭って「おとうの『お参り』についていく。」と言い出しました。そう言った翌朝から、本当に毎朝ついてくるようになって、ボクも驚かされるほど、本当に熱心に「お参り」をするようになりました。

    おそらく彼は、手を合わせながら「治りますように、どうか治してください」とお祈りしていたのだと思います。毎日毎日、本当に真摯に、熱心に「お参り」を続けました。

    すると3ヶ月後に病院に行くと、無事に先生から運動してもOKという診断をいただきました。その知らせに本当にホッとしたし、家族みんなで涙を流して喜びました。そして、そうやって喜んでいた後に、すぐに彼は「お礼を言いに行く。」と言い出しました。

    いつもお参りに行っているお墓さんと神社にお礼をしに行く…と言うんです。おそらく、彼はお墓さんの「ご先祖さま」や、神社の「神様」と対話を続けてきて、力をいただいた…って感じてるんだろうなと思いました。感謝の「お参り」に行って真摯に手を合わせている彼を見ていると、「お参り」は「最強のサポーター」になる!と心から感じました。たぶん、カウンセラーとか、メンターのような…本当にすごい力がある!って感じています。

    この「ご先祖様」とのことについて、「お参り」を続けていた息子を見ていて感じたことがいくつかあります。それは、「ご先祖さま」は、話したことを絶対的に応援してくれる存在なのだということ。そして、「ご先祖さま」は絶対に否定しないということです。おそらく、息子はお願いを全部聞いてもらっていただろうし、応援してもらっていたはずです。全てを受け入れてもらっていた…と感じていると思います。

    そして、この「ご先祖さま」との関係は、息子が手を合わせることでスタートできること。手を合わせなければその世界はありません。これもすごいな…と思ったことです。手を合わせることで「ご先祖様」との世界が生まれ、その中で対話を続け、心の中に「最強のサポーター」がいてくれる状態になるということ。なんか、手を合わせる…って、本当にすごいことだと思います。

    「お参り」が「Self-Compassion」を高める!
    これまで、こんな息子のことをうまく説明できずにいたのですが、最近になって「Compassion(コンパッション)」という言葉に出会いました。いろいろと調べている中で、「お墓参り」についての研究で「Compassion」という言葉が紹介されていたのでした。「Compassion」という言葉を調べてみると、

    「コンパッション」
    他者の苦しみを深く理解し、その苦しみが取り除かれるよう、寄り添い、助けたいと願う純粋な思い

    を指し、日本

    語では「思いやり」「慈悲」と訳されます。単なる同情(sympathy)や共感(empathy)を超え、実際に行動を伴う積極的な気持ちで、自分自身や相手の苦悩をありのままに受け入れ、支えようとする「共にいる力」です。
    と書かれていました。この説明、もしかしたらそのまま「ご先祖さま」がうちの息子にしてくださったことかも!って思いました。そして、さらに調べていると「Self-Compassion」という言葉と出会いました。意味を調べてみると「大切な友人に接するように、自分自身にも優しく、ありのままを受け入れること。」という説明が出てきます。これもまさに「お参り」を続けることでもたらされることそのものかもしれない!と思いました。

    息子を見ていて思うのは「ご先祖様が温かく自分を見てくれている」という視点を手に入れているだろうな…ということです。手を合わせて対話する中で、「ご先祖さま」がとことん優しく見てくれる視点を受け取ることで、自分自身の中にも、自分自身を優しく温かく見る視点を持つのかもしれないな…と思っています。

    お正月はぜひ子どもたちと「お参り」に!
    もうすぐお正月。よかったら、お子さんたちと一緒に、ぜひお参りしてみてください。「ご先祖さま」が「子どもさんを優しく温かく見守ってくださる視点」をいただくことで、お子さんの中に「自分自身を優しくみる視点」が育つ…と思います。

    「ご先祖さま」がそうやって見てくれている…ってことをお子さんにも伝えていただければ…と思います。手を合わせて、その存在を意識して、その温かさや優しさを受け取ることで、お子さんはそれをさらに感じることと思います。

    「お参り」を続けていけば、間違いなくお子さんは変化していきます。ご自身もやってみれば、同じように変化すると思います。きっと良い方向に向かっていくでしょう。 お正月、初詣だけでなく、ぜひお墓参りにも行ってみてください。お墓が遠くてなかなか行けないという方は、ご先祖様に「ありがとう」と心の中で言うだけでも構いません。お子さんと一緒に「ありがとう」を伝える時間を作っていただけたらなと思います。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

  • 「お参り」を続けてきたことで、ボクの中で起こってきた変化のこと。

    石屋になってから、毎日の「お参り」を続けているのですが、そのきっかけとなったは、毎日の「お参り」を続けておられたリスペクトする先輩と出会って「『お参り』をすれば幸せになる。」という言葉を教えていただいたことでした。まずやってみる…ってことから始めて、かれこれ6年ちょっとになります。

    「お参り」に行き始めた頃、手を合わせていると、石屋になって間もなくてなんだか不安な気持ちでいっぱいになっている自分がそこにいることに気づいたり、どんなことを心の中で思えばいいのかが分からなかったりしていたことをよく覚えています。寒い時期だと、朝イチはまだ真っ暗なんで、不安な気持ちと相まって、今とは全く違うちょっと暗い、ちょっとネガティブな気持ちで「お参り」をしていました。

    そんな時、また別のリスペクトする先輩と話していると、「大丈夫。昔から『お墓さんは”幸せの交換の場所”』って言われている。だから、手を合わせて感謝すれば『ご先祖さま』は必ず幸せを返してくれる。だから、不安にならなくてもちゃんと手を合わせて『ありがとうございます』って気持ちを伝えればOK。」ってことを教えてくださいました。

    揺るぎない温かな雰囲気で教えてくださったその言葉が思いっきり心に刺さり、その後の「お参り」は余計なことを考えずにただただ「感謝」を伝える時間として「お参り」をするようになりました。

    日の「お参り」は、自分の心を見つめる時間。
    ただただ「感謝」をするようになると、不思議なことに、その「お参り」に行って【手を合わせる時間】にだんだんと自分自身が「何に感謝をしているのか?」ってことを見つめるようになってきました。長い時間深く考えるわけではなくて、毎日短時間の「お参り」の中でふと心に浮かぶことがあって、そのことを考える時間になっていきました。

    例えば、ご先祖さまのこと、家族のこと、子どものこと、仕事のことなど、頭に浮かんできたことと向き合う…って感じです。決して、絶対しないといけないことじゃないのでふわっとしていて、頭に思い浮かんでいることを日々見ている感じなのですが、毎日の「お参り」の中で、ふと視点が変わっていく瞬間があったり、深く考えることができる日があったりして、自分にとって大切な時間になってきました。

    しかも、この【手を合わせる時間】は、完全に自分の中だけの時間なので、他の誰かが入ってくることはないし、時間が制限されるわけでもありません。こうしなければならない…ってこともないので、ただ単に頭に思い浮かんでいることを見つめている…って感じです。ただ、それを毎日続けていると、ある瞬間にふと見えてくる世界がある…ってことがだんだんとおもしろくなっています。

    そんな自分を「ご先祖さま」が温かく見守ってくださっている。
    この自分が何に感謝をしているのか…ってことを見つめるのは、1人でやっている…というわけではなく、その感謝していることを「ご先祖さま」に伝える…って時間なので、ずっと「ご先祖さま」が見てくださっています。でも、それは何かを指示命令するとか、引っ張っていってくれるとか、そんなことは全くありません。

    ただただ、そこにいてボクが自分自身を見つめて、発したことをそのまま聞いてくださっていて、ただただ見守ってくださっている…って、ただそれだけ。だけど、それがすごく温かい…というか、安心できる…というかそんな感じがあります。

    そんなことを感じるようになって、「お参り」に行き始めた頃に教えていただいた、リスペクトする先輩の「手を合わせて感謝すれば『ご先祖さま』は必ず幸せを返してくれる。」という言葉が余計に心に響いています。

    おそらく、「ご先祖さま」に手を合わせて感謝をする…ということは、同時に、自分の心を見つめる時間になる…ってことになるんだと思います。そしてそこは、誰かに何かを強要されるわけでもなく、誰かが介入してくることもなく、自分のペースで大丈夫で、しかも「ご先祖さま」が温かく見守ってくれている…という安全安心な場所。

    おそらく、手を合わせて「ご先祖さま」に感謝するということは、そういった安全安心の場所で、自分自身を見つめることができる時間になる…。そのことが回り回って自分に幸せを運んできてくれるのかもしれないな…と思っています。これから自分の中に、どんな変化が起こるか…ってことも楽しみにしながら、毎朝の「お参り」で「ご先祖さま」への感謝を伝えていきたいと思います。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

  • 息子が「お参り」をする姿から気づいた、そこに広がる世界のこと。

    石屋になってから、毎朝「お参り」に行くようになりました。「お参り」を始めた頃は、手を合わせて何をすればいいのか…が分からなかったので、とりあえず形として手を合わせていました。そんな時、リスペクトする先輩から「『お墓』は幸せの交換の場所」という話を教えていただきました。そして、「『ご先祖さま』に感謝して幸せを願えば、必ず返してくれる。だから、手を合わせた時は『ご先祖さま』に感謝を伝えるだけで十分。」ってことを教えていただきました。

    それまでは「お参り」に行きながら若干戸惑っていたけれど「それならできる!」と思って、その日から「お参り」の時間を「ご先祖さま」に感謝する時間としました。そして、心の中で「いつも見守ってくださって、ありがとうございます。」って伝えることだけに集中しました。

    すると、不思議なのですが、ザワザワしていた心が少し落ち着いていくのを感じました。そして、おじいちゃんやおばあちゃん、お世話になったみなさんが心に浮かぶようになって、感謝するだけでなくて、ちょっとずつ対話をしている自分に気がつきました。そして、心の中で家族のことや仕事のことなどについても、少しずつ言葉になっていくことにも気づきました。毎日、感謝をして、対話をして、自分の中で言葉になっていくこととまた向き合うので、家族や仕事に対する気持ちも少しずつ変化していきました。

    手を合わせることは「お墓さん」におられる方に…と思っていましたが、それだけじゃなくて、「ご先祖様」のことをイメージしながら、いろんなことを見つめる時間、振り返る時間になっています。そこに「ご先祖さま」がそっとそばにいてくださって、見守ってくださってる…って感じ。不思議ですが、おもしろいです。

    息子が「お参り」をする姿から気づいたこと。
    自分自身にとってもものすごく大切な時間になっているのですが、ここ数年は朝の「お参り」に息子がついてくるようになりました。真摯に「お参り」をする息子の姿から、日々気付かされることがあります。

    となりで真摯に手を合わせる息子を見ていていつも思うことは、彼が心の中でどんなことを思っているかは全く分からない…ってこと。でも、彼は本当に真摯に手を合わせていて、「ご先祖さま」と対話をしていることは間違いありません。だけど、それは隣で見ているボクには全く分からないんです。

    息子を見ていて思ったのですが、よく考えたら、ボク自身が「お参り」しているのを見ている周りの方がいたとしても、ボクが何を心の中で思って祈っているのか…ってことは誰も分かりません。「お参り」を始めた頃、何をどうしていいか分からなかった時と、その頃とはだいぶと心境が変わってきてたくさんの対話をしている今と、もしも周りで見ている方がいたとすれば同じように見えるかもだけど、確かにボク自身の心の中は全く違います。おもしろいです。

    こんなことを感じるようになって、ある時、息子に「『お参り』をしている時って、何か心の中で話をしているの?」って質問してみたことがありました。すると、息子は「お墓さんでは『ご先祖さま』に、神社では『神様』に『ありがとうございます』ってお礼を伝えて、お願いしたいことをお願いしている。」って教えてくれました。おもしろいです。

    「手を合わせる」ことで広がる世界。
    こうやっていろんなことを考えていると、「手を合わせる」ってことは、息子もボクもそうだけど、誰にも邪魔されないし、誰にも分からない【その人の中だけの世界】が広がるんだな…ってことです。

    息子は、お墓さんで「ご先祖さま」のことを思うと「ご先祖さま」と対話をしているし、神社で「神様」を思うと「神様」と対話をしています。この話を聞いていて気がついたのは、「お参り」する場所が違うだけで、彼の心の中では彼が思った相手と対話をしている…ってこと。

    そう考えると、確かにボクも、おじいちゃんを思うとおじいちゃんと対話ができるし、おばあちゃんを思うとおばあちゃんと対話ができます。師匠を思うと師匠と。神様のことを思うと神様と…。自分自身が誰を思うか、何を思うかってことで、その先に無限の世界が広がっていく…という不思議。おもしろいです。

    そして、それは、ボク自身がそうだったように、いきなり広がっていくものではなくて、日々繰り返し手を合わせて、何度も何度も練習をすることで、その世界を広げていくことができるのかもしれないな…と思っています。ボクもこれから日々「お参り」をして向き合っていくつもりです。がんばります。

    最近、これまではほとんどついてこなかった次男が「お参り」についてくるようになりました。次男も、初めはよく分からないかも…と思いますが、毎日「お参り」を繰り返す中で、いろいろ感じてくれると嬉しいです。息子たちと「お参り」を続けることで、彼らがこれから大きくなっていく時に、少しでも彼らを支える世界を心の中に広げてくれたらな…と思っています。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

  • ボクらが手を合わせた先に、どんな世界が広がっているのか?

    前にお祭のことについて書いた「大切なのはそこに至るまでの全てのプロセス」という記事の中で、秋季例大祭は「年に一度、神様が街に降りてきてくださる日」という話を書いたところ、その記事を読んでくださった方から「神無月(かんなづき)」のことについて教えていただきました。10月のお祭りだけど「ボクらがお祭りをやっている時、そこに神様がおられたのか?」って話です。

    この10月のことを「神無月」と呼ぶのは、10月に全国の神々が出雲国に集まるため、他の地域には神様がいなくなる月という意味。逆に、神様が各地から出雲に集まる出雲国では、この月を「神在月(かみありづき)」と呼ぶそうです。この話の流れだったら、確かにいないかも…って話も分かります。

    このご指摘をいただいてから、10月に神様は氏神様におられないのか?ってことについて、いろいろ調べてみたのですが、はっきりとしたことは分かりませんでした。引き続き、調べていきたいと思っていますが、このことを考えてみて気がついたのは、氏神様やお墓さんで手を合わせている時に、神様がそこにおられるかどうか、どんな様子でそこにおられるか…ってことって、これまでちゃんと考えていなかったな…ってことでした。

    「手を合わせる」時に見ているものって…?
    普段、全く意識していなかったけど、改めて考えてみると、手を合わせている時にイメージしていることは、目の前にある形であったり、場所であったり…ではないかもしれないな…ってことです。氏神様におられる神様がどんな神様か…とか、お墓にどなたがいて、その形がどうか…なんだかそういう細かいことって正直ほとんど気にしていなかったな…って思っています。

    実は、石屋になってから「『お参り』する時に何を見ているのか…?』ってことを考えさせられた印象的な瞬間がありました。それは、石屋になって間もないころのこと。お墓さんを作る仕事なので、地域によるお墓さんの形とか、大きさや石の種類とか、必死で勉強するようになりました。作り方とか仕上がりとかも大切になるから、そういうことを考えるようになりました。しばらくして、確かにそういったことが見えるようになってきましたが、そうやって「お墓さん」のことが分かるようになって気がついたことがありました。

    それは、石屋になるまでは、自分が「手を合わせる」時には、「お墓さん」の大きさや形、石の種類のことを全く気にしていなかった…ってこと。ボクが手を合わせた時に見ていたのは、その先にいるおじいちゃん、おばあちゃんだったり、自分が大切に思う亡くなった方々を見ていたし、お墓さんを見た時は「おじいちゃんが建ててくれたお墓さんや。」ってことを考えておじいちゃんをイメージしていました。

    確かにそこに「お墓さん」があるんだけど、そのものを見ていない…という不思議。このことに気がついた時のちょっとした不思議な感覚は今でもよく覚えています。その「お墓さん」を作らせていただいてることについて、いろいろ考えさせられる気づきでした。

    ボクが石屋として今大切にしていることは、この気づきから始まっています。しっかりとしたいいものを作りたいのはもちろんだけれど、それ以上に大切にしたいのは、みなさんが大切な方に心を寄せる温かい場所になるような「温度のある『お墓さん』」を作りたい…ってこと。日々精進しながら、とにかく心を入れて、お墓さん作っている日々です。がんばりたいと思います。

    「手を合わせる」ってことの先には何があるのか?
    こんなことを考えながら、いつものように息子と朝の「お参り」に行くと、真摯に手を合わせて「お祈り」をしている息子の姿がありました。そんな息子の横にいて思うのは、毎日一緒に行ってそばにいたとしても、手を合わせた彼が考えていることは、ボクには全く分からない…ってこと。

    息子の姿を見ていて思うのは、手を合わせて目を閉じた瞬間から、たとえ親だったとしても、どれだけ近くにいても、誰も入ることができない自分だけの世界が広がるってことです。そして、そこには徹底的に応援してくださる「ご先祖さま」がいて、対話が始まる…。なんだかすごいなと思っています。

    そんなことを思いながら、最初に考えていた「『神無月』に神様はおられるのか?」って話を考えていると、そこに神様がおられるかどうか…ってことは、そこまで大きな問題じゃないかもしれないな…ってことです。「お参り」する息子は「手を合わせる」ってことをした瞬間に心の中で間違いなくつながることができているだろうな…ってこと。「ご先祖さま」や神様がどこにおられても、たぶんあまり関係ないんだと思います。

    うまく言葉にできないけれど、「ご先祖さま」や「神様」がどこにおられても、意味を知っていても知らなくても「手を合わせる」ってことは自分の中にすーっと現れてくれて、力を与えてくださる…って感じなのかもと思います。記事を読んでくださった方から感想をいただいたことで、改めて「手を合わせる」ってことのすごいパワーを改めて考えることができました。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

  • 大切な方が亡くなっても「対話」はずっと続いていく。

    石屋になってから、ずっと続けてきた毎日の「お参り」。ここ数年は息子もついてくるようになって、「子どもにとって『お参り』は最強のサポーターになる!」ということが分かってきました。ボクが感じていること、そして息子の姿について、できるだけ話題にしたり、出会う方にはできる限り伝えるようにしています。

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    当初は、こんな「お参り」のことを伝えたら「『えっ?』って思われて引かれるかも…。」って気持ちがありました。でも、一生懸命に伝えてみると、多くの方が「これまではやってなかったけど、手を合わせるようになりました。」とか「子どもと一緒に『お参り』にいくようになりました。」という話をしてくださる方が現れるようになりました。

    若い世代の方も、熱い思いを持っている。
    ご自身やお子さんと「お参り」をするようになった…という話だけでなく、手を合わせるようになって「ご先祖さま」へのイメージが大きく変わった…という話や、さらに、亡くなってしまった大切な方のことについて語ってくださる方もいてくださることに驚いています。

    「ご先祖さま」を大切にする心は薄れてしまっている…といった話を聞くことがありますが、こうやっていろんな方と話していると、そんな空気はあまり感じません。例えば、20代、30代の若い世代の方たちも…いやもしかしたらむしろ若い世代の方達の方が反応が良かったり、本当に熱く思いを語ってくれたりすることが多いと感じています。

    そして、若い世代の方たちが実際に家で手を合わせたり、子どもさんを連れて「お参り」に行くようになったり…って方がたくさんおられます。おそらく、これまであまりそういった話題に触れてこなかっただけで、そういう話題に触れると行動にまでつながっていく…ということなんだと思います。「ご先祖さま」を大切にする心は、世代に関わらず、みんな実は心の中に持っているものなんだろうな…と思っています。

    ただ、確かに、普通に生活をしていると「お参り」のこととか、亡くなってしまった大切な方のことを話す機会って、ほとんどない…というか、全くないのが現状かも…と思います。だけど、こうやって「お参り」の話をすると、熱心に聞いてくださったり、熱く反応してくださったり…、さらには自分の思いや自分自身の経験を語ってくださる方がたくさんいる…というのが事実なんです。

    亡くなった大切な方との対話はずっとずっと続いていくもの。
    「お参り」の話を伝えた時に語っていただける話は、本当にどれも素敵な話で、いつも泣きそうになるし、感動させられることが多いです。たくさんの話を伺った中のお1人、この前、庵治産地に遊びに来てくださった方は、

    「大切な母が亡くなった時に、手を合わせて『お祈り』をしたら、イメージの中に母が現れてくれて対話をすることができたんです。」

    という話をしてくださいました。その方は、お母さんが亡くなる前に、お寺さんで数日間の修行体験をした時に「手を合わせる。」ってことについて学んでいたんだそうです。その時の経験を思い出し、お母さんが亡くなってしまった時に「手を合わせる」ってことをしたことで、心の中にお母さんが現れて、対話をすることができた…ということ。本当に大切でステキなことだと思いました。

    その方とも話していたのですが、大切な方のことを思って「手を合わせる」ってことは、難しいことでなないし、宗教的な知識が必要なわけでもありません。ご先祖さまや大切な方のことを思って「手を合わせる」ってただそれだけです。それだけで、その先にご先祖さまや大切な方が現れてくださる…ってこと。思えばそこにいてくださるし、思わなかったらそこにいない…。不思議だけど、そうなんだと思います。

    この話を聞いて、ボクと4歳上の兄との間の2人の姉のことを思い出していました。ボクの2人の姉は、産まれてすぐに亡くなってしまいました。だから、ボク自身は会ったことがないんだけど、ボクはその姉のことを思って生きてきました。なので、ずっとずっと心の中にいるし、ずっとずっと対話を続けています。

    2人の姉とボクとの対話は、ボクが物心ついたころから続いています。2人の姉が亡くなったのはボクが産まれる前だから、顔も姿も分からないけれど、ずっとずっと心の中に2人の姉がいます。そしてこれはおそらく、ボクが死ぬまで続くことだと思います。

    2人の姉との関係のことを考えると、乗り越えることができたらもう終わり…とか、納得できればそれでOK…といった類のものではないように思っています。ずっとずっと心の中にあって「手を合わせる」ことで現れてくれていつでも対話することができる存在…、ずっとずっとそばにいてもらえる大切な存在…って感じです。不思議だけど、そうなんです。

    この時代だからこそ「手を合わせる」ってことを大切にしたい。
    ボクが「お参り」のことを伝えさせてもらった方と話をさせてもらって、ご自身の大切な方が亡くなってしまったことについての話をしてくださった後にいつも話すのは「こういう機会はあまりない…」ってこと。もしかしたら、あえてそういった話に触れることをしなくても、日々の暮らしは何もなく過ぎていくんだと思います。

    そして、家族関係の変化や社会の変化、地域コミュニティの変化などの影響で、例えば「お参り」に対する距離もそうだけど、身の回りで起こる「死」との距離が少しずつ離れてきているのが事実で、話題になることも少ないし、考える機会も減ってきているのは確実です。

    だから、今は「お参り」ってことから、すでに離れてしまっている方も多いかも知れません。でも、おそらく触れる機会がないだけ、話題にするチャンスがないだけで、誰もの心の中に亡くなってしまった「大切な方」の存在は大きくあるし、その人との関係はずっとずっと続いている…ってことは間違いないんじゃなかな…と思っています。こんな時代だからこそ、あえて大切な方を思って「手を合わせる」ってことを大切にして、たくさんの方と話をしていきたいと思っています。

    そしてボクは、できる限り時間を見つけて、息子たちと一緒に「お参り」をする…ってことを続けていくつもりです。そして、ことあるごとに「ご先祖さま」のことを話そうと思っています。「ご先祖さま」を大切に思って「手を合わせる」という習慣を持っていることが、彼らがこれから生きていくときの大きな力になるはずだから…。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

  • ボクらもこれからの世代の「サポーター」になる。

    ボクは石屋になってから、毎日の「お参り」を続けています。ずっと続けてきて今、心から「『お参り』はいい!」って心から思っています。自分にとっても、そして何より子どもたちにとって「『お参り』は最強のサポーターになる!」と最近本気で思っています。

    そんな「お参り」を始めたころ、どんな気持ちで「お参り」をしたらいいかが分からずにいた時に、リスペクトする石屋の先輩に「お墓さん」は「幸せの交換の場所」だということを教えてもらいました。それは、「ご先祖さま」に感謝して幸せを願えば、「ご先祖さま」は幸せを返してくれる。だから、「お墓さんに行ったら、『ご先祖さま』のことを思うだけで十分。」ってことでした。


    それ以来、「お墓さん」と氏神さまに「お参り」をしながら、妻のおじいちゃん、おばあちゃん、そしてご先祖さま。ちょっと遠いけど九州の自分のおじいちゃん、おばあちゃん、そしてご先祖さま、さらに亡くなってしまったお世話になった友人や先輩方への感謝と幸せを願うようになりました。

    毎日のように、こうやって「ご先祖さま」のことを思う時間を作っていると、これまでもぼんやり思っていたけれど、最近ははっきりと、おじいちゃんやおばあちゃんはじめ「ご先祖さま」や、お世話になった友人や先輩方に見守られているんだな…ってことを感じるようになりました。

    世代を超える「ご先祖さま」のパワー。
    そして、「お参り」に息子がついてくるようになって、もうすぐ2年になります。真摯に「お参り」する息子の姿から、学ぶことがたくさんあるんですが、そのうちの1つ。ちょっと不思議なんですが「これからのこと」をよく考えるようになりました。

    息子が「お参り」しているお墓さんには、妻のおじいさんとおばあさん、つまり息子からしたら「ひいじいちゃん」と「ひいばちゃん」がおられます。息子は、確かにその「お墓さん」にお参りして、いろいろお願いをしたり、感謝をしたりして、「お墓さん」が息子の最強のサポーターになっている…と感じています。それは本当にすごいです。

    ただ、息子はその「ひいじいちゃん」と「ひいばあちゃん」とは出会っていないし、おそらくどんな方だったのかもよく知りません。だけど、その「ひいじいちゃん」と「ひいばあちゃん」のおられる「お墓さん」に毎日のように「お参り」に行って、とことんサポートしてもらっている…ということです。そこにある世代を超えた「ご先祖さま」のパワーはすごいな…と思います。

    さらに、息子が「お参り」をしている姿を横で見ていると、例えば、ボクが死んでしまったら、息子はこうしてまたボクに手をあわせるのかも知れないな…とか、何か困ったことがあった時にこの「お参り」が彼を支えるものになったらいいのにな…とか、そんなことを考えるようになりました。これまでは「過去から自分までの時間軸」しか考えていなかったけど、「今から未来への時間軸」もそこに生まれるようになりました。こっちも世代を超えていく…って話です。おもしろいです。

    自分もこれからの世代の「ご先祖さま」になる。
    未来のことを思うようになって、よく考えるようになったのが、自分も「ご先祖さま」になるんだな…ということ。息子たち、そしてそのまた子どもたち、さらにその先の子たちからすると、ボクは間違いなく「ご先祖さま」。

    そんなことを思って、息子との朝の「お参り」をしていたら、息子がサポートしてもらっている「ひいじいちゃん」や「ひいばあちゃん」をはじめとした「ご先祖さま」のように「ボクがなれるのか…?」ってことを考えていました。そんな「ご先祖さま」になるにはどうしたらいいのだろう…?って。

    そんなことを考えていて、ふと思ったことがありました。それは、息子が「ひいじいちゃん」や「ひいばあちゃん」のことをよく知らないけれど、そこに手を合わせることでサポートしてもらえている…ってことは間違いありません。だけど、この時、その「ひいじいちゃん」や「ひいばあちゃん」がどんな人だったか…ってことは、全く問題になりません。

    どんな生き方をしておられたか?どんな性格の方だったのか?そんなことは全く分からないし、全く知らなくても、息子にとっては大切な大切な「ご先祖さま」。そして、めちゃくちゃサポートしてもらっていて、めちゃくちゃパワーをもらっている…という事実。そこから考えると、もしかしたらボク自身も「ご先祖さま」になるために何かをしないといけないわけではなく、”そこにいる”ってことだけでいいのかも知れないな…ってことです。

    そこに「ご先祖さま」として存在していて、息子や、息子の子どもたち、そしてもっと先の子どもたちが「お参り」の習慣さえ持っていてくれたら、今、息子が力をもらっているのと同じことがそこに生まれて、ボクの存在が力になるはず…と。

    感謝することで、その方が自分を支えてくれる存在になる。
    前に、石屋の先輩に「ご先祖さまのことを思うだけで十分。」って教えていただいたように、「ご先祖さま」に感謝して幸せを願うことで、自分自身の中にその「ご先祖さま」に見守ってもらっている…という感覚が生まれるのかもしれないな…と感じています。

    そんなことを思って、また息子との朝の「お参り」をしていて思ったのは、手を合わせて感謝することで「ひいじいちゃん」と「ひいばあちゃん」からサポートをもらっているように、もっと先の「ご先祖さま」、そしておそらく「ご先祖さま」だけでなく、お世話になった友人や先輩方などの存在を1人ずつ意識することができれば、1人ずつ「サポーター」が増えていくかも知れないな…ってこと。

    おじいちゃん、おばあちゃんはじめ「ご先祖さま」、そしてお世話になった友人や先輩方など、こちらがその方を思ってこちらが感謝すればするだけ、自分自身が手を合わせる時に思ったみなさんに応援してもらえてる…って感じられるってことなんじゃないかと思います。

    だからこそ、まずは自分の息子たちには、「ご先祖さま」だったり、お世話になった方々にしっかりと手を合わせることを教え、習慣になるように「お参り」に連れていきたいと思います。そして、ことあるごとに、息子の子どもたち、さらにその子どもたちも「お参り」の習慣が続いていくように…と息子に話して聞かせてやろうと思います。

    そして、できる限り「お参り」を続けて、その良さをできる限りたくさんの方に伝えていきたいと思っています。そうすることで、息子が「ご先祖さま」に支えていただいているようなステキな関係が広がり、いずれボクらがこれからの世代の「サポーター」になれるはずだから…。

    なんか、こうしていろいろ考えていると、改めて「お参り」って素敵だな…って思っています。お互いを思い合える「お参り」の習慣をつないでいくことで、世代を超えて、大切に思い合ったり、支え合ったりすることができる…という不思議な力がそこに生まれてくるのかもしれないな…と思っています。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

  • 「形」と「手間」の中でこそ向き合えること。

    ボクは、ここ数年、毎朝の「お参り」を続けています。「お参り」を続けているとて、間違いなく自分にとっていい変化がたくさん生まれていることを実感しています。そして、ここ数年は、長男も一緒に「お参り」に一緒に来ていて、真摯に手をあわせる息子の姿を見ながら考えることがたくさんあります。ボクはもともと小学校の先生をしていたこともあって、教育や心理学の視点から見ても、

    「『お参り』は、子どもたちにとって間違いなくいいもの!」

    と断言できます。

    このことを、友人などに伝えると、本当に多くの方が「1日に1回、手を合わせる時間を作っています。」ってことや「子どもと一緒に手を合わせるようになりました。」とお知らせをくれます。そして、手を合わせるようになった友人からは、「感謝する気持ちが湧いてきました。」とか「ご先祖さまとのつながりを再認識しました。」とか「心がスッキリするいい時間になっています。」などなど、素敵な感想が続々と届いています。


    さらに、その時だけじゃなくて、ずっと続けている方だったり、ことあるごとに子どもを連れて「お参り」にいくようになった方だったり…が想像以上にたくさんいて、「『お参り』はいい!」って言ってくれることに驚いています。

    「お墓参り」は、子どもたちに負担がかかる?
    しかしながら、一方で「お墓参り」が負担だと感じている人も少なくないことは、よく報道されている事実です。よく聞くのが「子どもたちに負担をかけたくない…」という話。

    「負担がかかる」から「片付けてしまう…」という話ですが、これは、ボクが「お参り」をするようになって感じていることや、子どもと一緒に「お参り」をするようになって感じていることとは正直言って全くの真逆の意見。ボク自身は、そこに「お墓さん」という「形」があるおかげで続けている「お参り」からたくさんのことを教えてもらえているし、子どもにとって「『お参り』はいい!」ってことは絶対に間違いない!…と確信しています。

    ただ、確かに息子との「お参り」を続けていると、「お墓さん」に参るときのお線香やろうそくを準備したり、花を用意したり、何かと手間がかかります。草が生えていたり、時に鳥がたっぷりフンをしていたり、掃除をするのにも手間がかかります。さらに、毎日「お参り」をしていると「お参り」をするからこそお線香のヤニがついたり、お花の花びらが落ちたりして、汚れてしまってキレイにするのに手間がかかります。

    この「お参り」をするからこそ「手間がかかる」…ということは、確かにそうだと思うし、やればやるほど「手間も増えていく…」とさえ思います。この「手間がかかる。」ということが「悪」…というイメージが広がっている気がしていますが、自分自身が「お参り」を続けてきて思うのは、これは本当に「悪」なのだろうか?という疑問です。

    「ご先祖さま」とのつながりは「無形の家督」。
    そんなことを考えていたら、柳田國男さんの「先祖の話」の中に、こんなことが書いてあるところを見つけました。

    国の経済の組織が発達してくれば、家督はもちろん土地でなくともよい。しばしば滅失の危険にさらされる有形の財産よりも、むしろかほどまでに親密であった先祖と子孫の者との間の交感(感情の通じ合い)を、できるだけ具体的に知っている方が、どのくらい家の存続に役立つか知れない。それを「無形の家督」と呼ぶことは、今はまだ呑み込み(納得する)にくかろうと思うが、私がこれから談(かた)ってみようとしているのは、主としてその方面の隠れたる事実である。
    柳田國男「先祖の話」・「10.家督の重要性」より引用


    「家督」っていうのは財産のこと。つまり、いつなくなるかわからない「形のある」土地やお金などの形のある財産よりも、先祖と子孫が通じ合っていることについて、できるだけ知っていることが…「形のない財産」ってくらい大切だ…って話。この話を読んでから、子どもたちと一緒に「お参り」をして、「ご先祖さま」に手を合わせるという習慣を子どもたちに身につけさせてあげることは、柳田國男さんがおっしゃるように形のある財産以上の価値がある…ということだと、ボク自身も確信するようになりました。


    この「ご先祖」さまとのつながりについて、ちょっと前の時代までは、家にあるお仏壇に「お参り」をしたり、近所にあったお墓さんに「お参り」をしたりすることが生活の近くにあって、ごくごく当たり前の風景だったはず…。おそらく、当たり前だっただけに「負担がかかる。」「めんどくさい。」というネガティブな部分がよく目についたはずで、そのことを感じることの方が多かったんじゃないか…と思います。ただ、その「お参り」という行為の中で、柳田國男さんがいう「無形の家督」のような言葉になっていないたくさんのポジティブな「良さ」を享受しいていたことも事実だったはず…です。

    だけど、今の時代は、家族の形態が変わり、コミュニティの形態が変わり、ネガティブな「負担がかかる」ことや「めんどくさい」ことをする必要がなくなってきています。「お参り」をする必要もなくなってきて、だんだんと「ご先祖さま」とのつながりを感じることは少なくなってきている…というか、もう感じることもできなくなりつつある…って感じで、言葉になっていなかったけど享受していたたくさんのポジティブな部分も失ってしまっているのかもしれないな…と思います。

    この時代だからこそ、あえて「形」と「手間」を…。
    こんなことを言ってるボク自身も、実は核家族で育ちました。家に仏壇はなくて「お参り」する習慣はなかったし、お墓さんも近所にはなくて遠いところにあったので、なかなか「お参り」はできませんでした。そんなボクが、今になって「『お参り』はいい!」という確信を持つようになり、友人に伝えると友人も同じように良さを感じるようになった…ってことなんです。


    これまでのしがらみがない核家族で育ったボクや友人たちは、そのネガティブな側面を知らないからこそ、純粋にその「良さ」の部分だけをポジティブに捉えているのかも知れないな…と感じています。そのポジティブな部分が柳田國男さんのいう「無形の家督」の一部分なのかも…と思っています。

    では、なぜ小さい頃から習慣としての「お参り」が当たり前じゃなかったボクが「お参り」をスタートさせて続けてこられたか…というと、香川に越してきて石屋になったことで、近くにある妻の実家のお墓さんに「お参り」をするようになったから…です。そこに「お墓さん」という「形」があったからこそ…感じられるようになったことだと思っています。

    もし、「お墓さん」という「形」がなかったら、ボクは「お参り」をしていないと思います。「お参り」をしていなかったら、こうして「ご先祖さま」のことを深く考えることもなかったはず…です。同じように息子も「お参り」をすることはなかっただろうし、当然、息子がその良さを感じることはなかったはず…で、子どもにとっての「お参り」の良さについて考えることもなかったと思います。

    状況によっては「負担だ…」と感じるかも知れないお墓さんという場所が「形」としてあったからこそ、ボクと息子は「お参り」をスタートしたし、ずっと続けているからこそ感じられたことがたくさんあります。そして、状況によっては「めんどくさい」と感じるかも知れない、お花やお線香、ろうそくなどを準備したり、手順通りにお墓さんにお供えしたり…という「手間」のかかる「お参り」をスタートしたし、ずっと続けているからこそ、いろいろと考えたり、自分と向き合ったりすることができたんだと思います。


    今は、家族の形態が変わり、コミュニティの在り方が変わっていっている時代。自分自身の体験から、もしかしたら「負担だからいらない。」「めんどくさい。」と感じてしまいがちな「形」と「手間」の中でこそ向き合えることがあるはず…ってことを心から感じています。この時代だからこそ、これからの子どもたちのために、今ある「形」と「手間」をあえて手放さずにそばに置いておく…ってことも大切なことなのかも知れないな…と思っています。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

  • 「区切り」があるから見えるもの。

    この春で、石屋になって7年目がスタートしました。ボクはこの仕事に出会えて本当によかった…と心から思っています。「お墓さん」のこと、「お参り」のこと、「グリーフケア」のことなど、日々の修行の中で出会う1つひとつに胸がいっぱいになるし、心から感謝しつつ修行する日々です。本当にありがたいです。


    これまで6年間、「庵治石」や「お参り」のことについて徹底的に経験しながら、徹底的に調べたり考えたりしてきました。この6年で、ボクなりの捉えが少しずつ生まれつつあります。だけど最近、「お墓さん」ということについて考えるようになってから、頭の中でなかなか考えをまとめられずにいました。このnoteにも、なかなか文章を書くことができず、悶々とする日々が続いていました。やっと最近になって考えがまとまってきたので、久々にnoteにチャレンジしてみたいと思います。

    作品を置くと見えなかったものが見えてくる。
    「お墓さん」の意味を徹底的に考えてきたけれど、なかなか自分の中でまとまらなかった時に、ふと教員時代の研修で心を奪われた「分節点」という言葉が頭に浮かびました。それは、美術の研修だったのですが、講師だった大学の先生が「分節点」という言葉を使って「何もない場所に作品が置かれるから、これまで見えなかったものが見えてくる。」という話をされました。

    作品がなかった時には何もないけれど、作品があることで意味が生まれたり、見え方が変わったりする…というこの考え方が衝撃的で、その話を聞いて以来、ずっと頭から離れず、ずっとボクの心に「分節点」という言葉がありました。「お墓さん」の意味を考えるようになって、この「分節点」という言葉がまたひっかかりました。徹底的に調べている中で、編集者・著述家の松岡正剛さんが「知の編集工学」というご著書の中で「分節」ということについて書かれている…ということに辿り着きました。

    松岡正剛さんの言う「分節」とは、「情報や知識は、それ自体では意味を持たない。それらをどう分けて、どう結びつけるかによって、意味が生まれる」とおっしゃっています。つまり「分節」というのは、つまり「区切ること」。「区切ること」でこそ意味が生まれるということです。


    もしかしたら、「お墓さん」というのは、大学の美術の先生がおっしゃっていた「あるからこそ見えてくるものがある。」ってこととか、松岡正剛さんがおっしゃるように「分けて結びつけるからこそ生まれる意味がある。」ということが1つの大きな価値なのかもしれないな…と思うようになりました。

    今の時代は「死」が見えにくい時代。
    ちょっと話は変わりますが、石屋になってから、いろんな方と話を重ねながら、「死との距離」について考えてきました。すると、今は昔に比べると「死との距離」が遠くなっている…ということが分かってきました。

    例えば、昔は地域のコミュニティが中心の生活だったり、今と違ってお葬式などを家で行なっていたこともあって、地域の方の「死」を見ることが多かったけれど、今はコミュニティの関係が薄れてきていることやホールなどでのお葬式に代わってきたことで、日常生活の中で「死」について経験することや触れる機会は明らかに減ってきています。ボクらの子どもの頃の時代と、息子たちの時代とを考えても、明らかに違っていると肌で感じています。もっと昔と比べるとそれはもう明らかだと思います。


    そして、この「死との距離」についていろいろと調べていると、もっともっと昔だと、医療も発達していなかったこともあって、切迫するくらい「死」が身近にあったから、「どうかうちの家に『死』が近づいてきませんように…」という思いで、お盆やお正月、お彼岸などの行事を大切にしてきた…という話にも出会いました。

    つまり、昔は「死」というものがよく見えていたけれど、今は「死」は見えにくくなっているということです。

    今も昔も変わらない「大切な方を思う気持ち」。
    だからといって、「死」は見なくていいもの…ではありません。大切にしている家族や友人の方も誰だって亡くならない人はいないし、もちろん自分自身も同じ。見えにくいけれど「大切な方の死」というのは避けることはできないし、ボクらの近くにあって、時代が変わっても全く変わることのないものだと思います。

    そして、それは本当に大きな出来事。ボク自身もたくさん経験してきましたが、今も、昔も、「大切な方の死」は、本当に大きな悲しみと喪失感を経験することになります。何度も言いますが、そこは全く変わることのないことです。

    ボク自身もリスペクトしていた師匠を亡くしてしまった時、師匠のギターを預かって師匠がやっていた音楽を追いかけてみたり、師匠が大好きだったハーレーに乗って全国を旅してみたり…ってことをやっていた時代がありました。でも、今でもよく覚えているけれど、師匠の死のことについて落ち着いて考えて涙を流すことができたのは、亡くなってから10年ほどが経った時でした。


    大切な方の死は、その悲しみが大きすぎるが故に、なかなかそのことを見つめることができなかったり、考えることができなかったりする…ということもあると師匠が亡くなってしまった時の経験から痛切に感じています。

    そして、大切な方の死は否応なしに誰にだって訪れます。今は「死との距離」が離れてしまっていて「死」が見えにくい時代だし、見ることが難しいことだからといって見ないままでいいか?というとそうではない…とボクは思っています。

    「分節点」があるから見えることがある。
    そんなことを思っていると、ボクが石屋になって1年が経った頃から、毎朝続けている「お参り」のことが頭の中でつながり始めました。毎朝続けている「お参り」には、ここ1年半ほどは長男も付いてくるようになりました。自分自身が「お参り」をしていても思っていましたが、息子が「お参り」をする姿を見ていて、「お参り」の良さを痛感するようになっています。

    うちの家は核家族だったので、家に仏壇はなかったし、お盆とお正月に「お墓参り」にいくくらいなもんでした。でも、石屋になって、改めて「お参り」をしてみると本当に素敵な習慣だということが分かってきました。

    そのことを出会った友人に話すと、たくさんの友人が「お参り」をし始めるようになりました。友人たちも本当にその良さを感じているようで、「おばあちゃんとのつながりを感じる大切な時間になっています。」とか「ご先祖さまがあっての自分だと思うようになりました。」とか「感謝の気持ちを感じるようになりました。」など、続々と素敵な感想を伝えてくれます。

    今の時代、「お参り」とか「お墓さん」と離れていっているような雰囲気がありますが、ボクらにはご先祖さまや亡くなってしまった大切な方を思う気持ちは、今も昔も全く変わっていないと思います。むしろ「死」との距離が離れている今の時代だからこそ、あえてそういった場所を自分自身の中に持っておくことが必要なのかもしれない…と思っています。

    大学の美術の先生がおっしゃっていた「何もない場所に作品があるから、これまで見えなかったものが見えてくる。」という言葉のように、「お参り」という習慣だったり、「お墓さん」だったりを「分節点」として置くことで見えてくるものがあるかも知れないな…と思っています。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

  • 大好きだった「おじいちゃん」と「自転車」のこと。

    久々に前の仕事の同僚に誘ってもらって飲みに行きました。こうして、今でもつながって話ができることは本当にありがたいし、大切にしたい時間です。

    久々に楽しい時間が過ぎていく中、気がついたらボクは最近たくさんの方に伝えている「お参り」が子どもたちにとってどれほど教育的効果のあるものなのか…ってことや、庵治産地でたくさんの職人さんの手で作っている「お墓さん」のことなどを熱く語っていました。


    すると、ふいにそれまではずっと話を聞いてくれていた元同僚で後輩の大西くん(仮名)が「『お墓』とか『お参り』とかって大事ですよね。」と静かに話し始めました。

    実は、ボク難病になってしまったことが分かって…。病院でそれを宣告されて、初めに向かったのがお墓だったんです。おじいちゃんにそのことを伝えにいきました。「お参り」をして、そのことを報告したら、なんだか「そのままで大丈夫。」って言ってもらった気がして、ホッとしたんですよ。お墓って絶対大事な場所ですよね。
    病気の話も知らなかったこともあって、全く想像をしてなかった話に、ボクはびっくりしました。でも、本当にすごい話…って思って、思わず「おじいちゃん、なんかいつでもそばにいてくれてたんやな。」って言葉を返していました。すると、さらに話し始めてくれました。

    実は、ボク小さい頃におじいちゃんに、今のお墓が建つ前の墓地によく連れて行ってもらって、一緒に草抜きしてたんですよ。おじいちゃんが「ここにお墓が建つからな。」っていつも言ってくれてて…

    今、ボクが自分の息子たちに同じような想いを持っているように、ボクはおじいちゃんはいろんな思いで大西くんを墓地に連れて行っていたんだろうな…と思います。おそらく幼かった大西くんは、そんなこと感じていなかったと思うけど、本当に困った時に、お墓さんに行って、おじいちゃんと話をした…ってことだと思います。なんかそういう気持ちって、ちゃんと伝わってるんだな…と思って、ちょっと涙をこらえきれませんでした。


    ボクは最近の「お参り」についての学びから、すぐに「おじいちゃん、大西くんになんかあったらいつでもここにおいで。絶対助けてあげるから…って言ってくれてたんやな。実際に病気が分かった時にちゃんとお墓に行っておじいちゃんに助けてもらえたんやな。」と伝えました。

    大西くんは、さらに話し始めました。

    今、この話をしていて分かったんですけど、ボク、実は毎日乗ってる自転車にもおじいちゃんを感じるんですよね。小さい頃、自転車の乗り方を教えてもらったり、一緒に自転車でいろんなところに行ったり…。パンクを直してもらったのもよく覚えています。だから、自転車に乗る時っていつもおじいちゃんと一緒なんです。


    実は、大西くんは、すごく遠い職場にも関わらず、毎日自転車で通っています。その話を聞いて、ボクはちょっと「なんで?」って思っていたのですが、やっと腑に落ちました。彼が遠くまで自転車で通うのは、おじいちゃんの存在を感じることができて、いつもなんだか励ましてもらえる感じがしていたんだな…と納得しました。そんなことを伝えていると、遮るように大西くんが話し始めました。

    森重さんだけが腑に落ちたんじゃないですよ。ボクも今、腑に落ちました。ボクはなんでこんなに自転車に乗りたくなるんだろう?って思っていたけど、今日、ずっとこの話をしてて、やっと分かりました。自分自身、なんでこんなにこだわっているのかな…と思っていたんですけど、「自転車」に乗ることは「おじいちゃん」との時間なんだ…って分かりました。かなりスッとしましたよ。ありがとうございます。
    なんと彼は、そのことをこれまでは意識していなかったんだそうです。でも、こういった話をしていた中で、「自転車」へのこだわりの中に大好きだった「おじいちゃん」がいた…ということを意識できた…ってこと。なんだか泣けてきます。

    ボクは、大西くんと遅くまで飲みながら、大西くんはまたこれから「自転車」に乗る時間を大切にしていくんだろうな…と思っていました。そして、これから大西くんが「自転車」に乗っている光景を想像すると、ちょっと微笑ましく、なんだか温かい気持ちになります。これまでは不思議なこだわりだった「自転車」に乗る時間が、大好きだった「おじいちゃん」を思える時間になるってこと、本当に素敵なことだな…と思います。「おじいちゃん」もうれしいだろうな…と。


    大西くんと久々に飲んで、自分を大切に思っていてくれた人とのつながりが今の自分を支えているんだろうな…ってことに気づかされました。そして、ボクのこだわりや何気ない行動とか選択の中に、大切な人の存在が隠れていることがあるんだろうな…って思いました。

    普段はあまり話さないけれど、ボクはこれからさらに「お参り」のことと、「お墓さん」のこと、「おじいちゃん、おばあちゃん」など大切な人のことを、いろんな方とたくさん話していきたいと思っています。そして、そんな話を子どもたちにも聞かせてやりたいな…と思いました。

    その日は2人でだいぶ遅くまで飲んでしまいました。いい時間でした。大西くん、ありがとう。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

  • 一緒に焚火をしていた息子に話したこと。

    ボクは焚火が好きです。ちょくちょく焚火をして遊んでいます。息子たちも焚火で遊ぶのが好きです。最近は、三男(5歳)が特に楽しんでいます。焚火に薪を投入したり、ちゃんと燃えるように薪を動かしたり…。

    そんな三男がパチパチと音を立てて燃える火から、時折「パチン!」と薪が弾けて飛ぶ瞬間があって、ちょっと飛ぶ火の粉を怖がっていたのですが、だんだんと慣れてきて、落ち着いて火を楽しんでいました。ふとした瞬間に、三男が急に大きな声を出しました。

    「おとう!お空に火が飛んでる!」

    初めは何のことか分かりませんでした。息子の話を聞きながら、一緒に焚火を見ていると、彼が言っていたのは、焚火の上に舞い上がる「火の粉」のことでした。息子にとっては初めて見る「火の粉」だったはずで、こうして何もかもに新しい出会いをしているだろう息子に感動していました。


    自分で焚火をしていると、全く目を向けることがなかった「火の粉」。息子に言われてからは、焚火から舞い上がる「火の粉」をずっと見ていました。すると、「火の粉」の先に、本当にキレイな星空と大きな満月が見えました。


    その風景を見ていて、18年前に亡くなった師匠の追悼ライブのことを思い出していました。そのライブは、師匠のことを慕うみんながキャンプ場に集まって、順番にライブをしていく…といったものでした。ボクは本当にリスペクトしていた師匠が亡くなってしまって、あまりに悲しくて悲しくて…という時期でした。だけど、
    とにかくとことん盛り上げよう!と思って、家にあった大きな薪を車に積めるだけ積んで、会場に向かいました。

    ライブ会場に着くと、会場の一番ど真ん中に持ってきた木を組んで、大きな大きな焚火を準備しました。火をつけてみると、それはこれまでに見たことのあるどの焚火よりも、これまで経験したどのキャンプファイヤーよりも大きな大きな火になりました。


    それはもうみんなの思いが集まって、みんなの心が集まって、大きく燃えているみたいでした。舞い上がるたくさんの「火の粉」を見上げて、どうかどうかみんなの思いが届きますように…と願った先に、涙で滲んだ大きな満月があったのを思い出します。


    そんなことを思い出しながら、小さな焚火を見ていたら、三男がまた、

    「おとう!火がお空に飛んでいくよ!」

    って叫びました。三男が指差した「火の粉」を見ながら、ボクは師匠の追悼ライブでの大きな焚火の「火の粉」と、今、目の前で三男と一緒に眺めている小さな焚火の「火の粉」が重なって、涙が溢れてきてしまいました。そして、楽しそうに薪で遊んでいる三男に、

    「お空に飛んでいく火に乗って、お空にいるおっちゃんに心が届くんやで。」

    って伝えてみました。すると、三男はちょっとキョトンとしながら、また「火の粉」を追いかけて、空を見上げていました。おそらく、彼には意味がわからなかったと思うけど、いつか必要な時にこの焚火の風景が何かの支えになるといいなと思っています。


    また、時間がある時は、子どもたちと焚火をしたいと思っています。火を見ながら、またいろんなことを話せたらいいな…と。無邪気に遊ぶ三男が薪を入れると、パチパチと音を立ててまた焚火から「火の粉」が舞い上がりました。その先を星空を見上げると、また満月がキレイに輝いていました。

    庵治石細目「松原等石材店」 3代目・森重裕二

  • 「お参り」がもたらしてくれる「『自分』を”温かく優しく見る”視点」のこと。

    ボクは毎朝の「お参り」を続けています。石屋になってしばらくしてから…なので、かれこれもう5年くらいになります。朝の「お参り」を続けてきて、本当に「『お参り』はすごい!」と感じています。「お参り」しているおかげで、なぜか気持ちが落ち着いてきていることを感じることも多くなって、自分自身が変化してきていることを感じています。


    そして、そんなボクの姿を見ていた息子もついてくるようになって、ここ1年ちょっとは息子も一緒に「お参り」に行っていますが、どう考えても子どもたちにとって「『お参りがいいってことは間違いない!」と確信を持っています。

    「お参り」をし始めた友人に共通していること。
    この「『お参り』することがとてもいい!」ってことを、友人に出会うと例外なくみんなに伝えています。たくさん伝えているからか、友人から「『お参り』を始めたよ!」という声がたくさん届くようになっています。かなりいい反応なので、ちょっとうれしいです。どうか友人のみんなも、ボクが感じているような変化があるといいな…と思っています。

    「お参り」がちょっとずつ習慣になってきている友人から連絡をもらうようになって、いろいろと「お参り」の感想を聞かせてもらう中で、不思議なのですが、みなさんの話の中に驚くほど共通していることがあります。


    それは「お参り」を始めた頃は「自分」のことを考えていたけれど、不思議と「周りの人」のことを考えるようになって、その「周りの人」への感謝の気持ちが湧いてくる…というもの。驚くほど共通しているのがすごいと思っているし、毎日「お参り」を続けている自分自身も、続ければ続けるほど、みなさんが伝えてくれることと全く同じ気持ちが増幅してきていることを感じています。

    「自分」を見る3つの視点を考えてみる。
    みなさんからの「お参り」の感想が届く中で、「自分」を見る視点について考えています。「自分」を見る視点は、おそらく3つあると考えています。まずは、そのうちの2つを初めてに考えてみます。

    ・「自分」が「自分」を見ているという視点。
    ・「他人」が「自分」をどう見ているか…という視点。

    この2つの視点のことを想像してみて、みなさんはどう感じるでしょうか?

    これは、ボクの場合ですが、「自分」で「自分」を見ているとちょっと自信がなかったり、不安があったり…ってことが多い気がしています。みなさんの中には、「自分は最高だ!」って方もおられると思いますが、多かれ少なかれ、自信がなかったり不安だったり…ってことは誰しも持っていると思うんです。

    そして「他人」が「自分」を見ている視点を想像すると、ボクの場合ですが、何か変なこと言われていないかな…という不安なことが頭に浮かびます。皆さんの中には、「みんなは自分を認めている!自分は最高だ!」って方もおられると思いますが、多かれ少なかれ、不安だな…ってことは誰しもあると思います。


    そして、3つ目の視点はこれです。

    ・「ご先祖さま」が「自分」を見てくれているという視点。


    この「ご先祖さま」が「自分」を見ている視点…と聞いてみなさんはどんなことを想像するでしょうか?

    ボクの場合ですが、この視点を考えると、温かくて優しい視点でとことん応援してくれて、とことん背中を押してくれる…って雰囲気のような気がするんです。おそらく「ご先祖様」は絶対的に背中を押してくれる、絶対的に安心できる存在なのかもしれないな…と思います。

    「お参り」がもたらしてくれる「『自分』を”温かく優しく見る”」視点
    「お参り」をすることで、普段は「自分」にばかり目が向いていて、「他人」の目を気にしたりしている…といった不安や自信がない…という視点から、「お参り」をすることで「ご先祖さま」のことを思うようになり、「ご先祖さま」が「自分」を見てくれているという視点を手に入れることができる…ってことにつながるんだと思います。

    「お参り」をし始めた友人が口をそろえる「周りの人のことを考えるようになった。」ということについて、改めて考えてみると、おそらく「お参り」をすることで、普段の生活では考えない「自分」を”温かく優しく見る視点”がベースとなって、自分自身を満たし、周りの人に目が向いていくのかもしれないな…と思っています。


    ありがたい視点を得られていることに感謝しつつ、これからも、しっかりと「お参り」を続けていきたいし、できる限り、子どもたちも一緒に連れていくつもりです。そして、子どもたち「ご先祖さま」は、とことん応援してくれる最強の味方だから…と話して聞かせてやろうと思います。おそらくそれが、子どもたちがこれから先に生きていく時に絶対的な味方として心を支えてくれることになるはずだから…。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

  • 「ありがとう」が自分を変える!毎日の「お参り」と「感謝脳」のこと。

    ボクは毎朝の「お参り」をずっと続けています。自分自身が約5年。息子が1年ちょっと。2人で「お参り」を続けてきて、はっきりと言えることは「『お参り』はいい!」ってこと。間違いありません。明らかに、自分自身にいい変化が起こっています。自分でハッキリとわかるくらいの変化なので、本当にすごいパワーがあると思っています。

    「お参り」はいい!という人はたくさん…でも「なぜ?」ってことが分からない。
    ずっと「『お参り』はすごい!」、「『お参り』はいい!」というのは、体感でわかっているのですが、それが「なぜか?」ということが説明できませんでした。いろいろ「お参り」について語られている動画や文章などを手当たり次第に探ってみましたが、成功している人や仕事がうまくいっている人はよく「お参り」に行っていて、そうじゃない人は「お参り」に行っていない…という統計的にそうだという説明くらいしか見つけられませんでした。おそらくこれまでの長い歴史の中で「お参り」をすることが間違いなく「いい!」ってことは、誰もが言ってきたことだってことは理解できましたが…。


    柳田國男の「先祖の話」の中には、先祖との交感は「無形の家督」だとおっしゃっています。「家督(かとく)」とは、言い換えれば「財産」ということ。つまり、ご先祖さまを大切にすることを子どもたちに伝えておくことは、「財産」を残すに等しいということです。おそらく昔の方は、それくらい「お参り」を大切にしてこられたんだろうな…と思っています。

    理由はどうあれ「いいものはいい!」ってことだということは、自分の体感でも感じていることだから、もしかしたら理由なんてどうでもいいのかも…とも思います。だけど、ボク自身ももっと早くこのことを知っていたら、どんなによかっただろう…って思うことがあって、「この良さをどこからか説明ができないかな…」って思っています。もしもそこが説明できたら、もっともっとこの良さを享受できる方が増えていくだろうな…と。

    「感謝脳」という本と出会う。


    そんな時に、リスペクトする先輩から1つの本を紹介していただきました。それがこれ。「感謝脳」って本です。精神科医の樺沢紫苑先生と、感謝研究家の田代政貴先生が共著で書かれた本で、さまざまなエビデンスを基にして、心の健康、身体の健康にいい影響を与える…ということが徹底的に書かれています。そして「ポジティブ思考」でも「ネガティブ思考」でもない、「感謝思考」という言葉で「感謝」することの良さを徹底的に紹介してくださっています。

    とにかく、1冊を読み切って感じたのは、とにかく『感謝』することがベースになれば、身体にも、心にも良い影響があり、人生が変わるほどのパワーがある!ということが徹底して書かれています。そして、この本を読んで、おそらく「お参り」の効果の1つは、間違いなくこれだ!と思いました。「お参り」をすることによって「感謝」がベースになることが「めっちゃいい!」につながる!と確信しました。

    「お参り」を続けると「自分」から「周りの方」へ意識が変わる!
    最近、ほぼほぼ確信に変わってきた「お参り」の良さを、ことあるごとにみんなに伝えるようにしていたら、たくさんの友人が「お参り」をスタートさせてくれました。心の中でどんなことを思えばいいか…ということについては、石屋のリスペクトする先輩に教わったことを伝えています。

    それは、「お墓は幸せの交換の場所」だということです。ご先祖さまへの感謝やご先祖さまの幸せを願えば、ご先祖さまがボクたちに幸せを返してくれるんだそうです。そのことを教えてもらってから、ボク自身も「ご先祖さまへの感謝」だけを伝えるようにしていたのですが、そこからだいぶ自分自身に変化がありました。

    お墓さんが遠くにある…という友人から質問があって、リスペクトする先輩に「お墓がない方はどうしたらいいでしょう?」と伺ったら、「ご先祖様はそんな心が狭くないから、お墓に『お参り』することができなくても大丈夫。おそらくその場からでも手を合わせれば、しっかりと幸せを返してくれるはず…。」と教えていただきました。


    その「お参り」を始めた友達から届く感想に驚くほど共通していることが、始めは「お参り」しながら「自分」のことを考えていたけれど、不思議と「周りの人」のことを考えるようになって、その「周りの人」への感謝の気持ちが湧いてくる…というもの。驚くほど共通しているのがすごいし、自分自身もみなさんが伝えてくれることと全く同じことを感じています。

    「お参り」をすることで「ご先祖さま」のことを思うこと自体が感謝の気持ちでいっぱいになるし、「周りの人」のことを考えて「感謝」の気持ちが湧いてくる時間にもなります。おそらく「お参り」は「感謝脳」に切り替わっていく「スイッチ」みたいな役割があるんだろうな…と思っています。

    これからも、毎日の「お参り」を続けていきたいです。そして、息子たちのこれからのために、できるだけ一緒に連れて行って習慣にしてあげたいです。そして、いろんなことに「ありがとう」って気持ちを持てるよう、日々の修行をがんばっていきたいと思います。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

  • 「ご先祖になる。」という柳田國男の言葉から「グッド・アンセスター」という考えに出会った話。

    前回の記事「『ご先祖様には子孫を幸せにする力がある。』という言葉の裏に隠れていた『子どもを思う熱量』のこと。」では、柳田國男の「先祖の話」の中にある「ご先祖になる。」という言葉から、考えたことをまとめてみました。


    今まで「ご先祖」といえば、これまでに亡くなった方やずっと昔のみなさんのことをイメージしていました。前回の記事を書くまでは、「ご先祖」とは、つまり”過去”のみなさんのことでした。でも、自分が「ご先祖になる。」って考えられたことで、自分自身の”未来”のことと「ご先祖」という言葉がつながって、大きく視点が変わりました。

    この年末年始に、この視点を得られたことは、自分にとってかなり大きな出来事でした。この記事を公開してすぐに、香川県高松市でグリーフケアに取り組んでおられる慈照寺の坊守・秋山さんからメッセージをいただきました。

    お参りの投稿を見ていて、まさに私たちがグッド・アンセスターになれるかどうか、だなと感じながら読ませていただきました。私も日々、よき祖先になれるかどうか、子どもやまだ見ぬ孫や、その先の人たちの姿を大切にしながら生きられているか問い続けています。

    ご存じかもしれないですが、松本 紹圭さん(僧侶)が翻訳されている本「グッド・アンセスター」がおすすめですよ。

    お墓さんって、私たちがご先祖様とつながる媒体であるとともに、自分がどんな先祖になるのか、今を生かされている私たちの姿を気付かせてくれる大切な場所でもあるなぁと感じています。
    これまで「グッド・アンセスター」って言葉を全く聞いたことがなかったので、オススメいただいた本をすぐに注文しました。

    「グッド・アンセスター」って?
    届いた本、とても興味深い内容で一気に読み切ってしまいました…。内容を端的に説明すると「自分が『よき祖先』になれるか?ってことを問うこと。」について書かれています。自分たちが「よき祖先」になれるか…という視点を持つことで、短期思考から長期思考に変わっていく…ということでした。ものすごく面白かったです。

    帯にも書いてあるとおり、台湾のデジタル担当大臣のオードリー・タンさんも、「これからの人類にとって、最も重要な問いは?」と聞かれて、「どうしたら、よき祖先になれるか、ということです。」と答えておられるそうです。

    何より、前回の記事で書いた「ご先祖になる」の言葉から考えたことと、驚くほど共通した内容で、この本と出会えたご縁に感動しているところです。かなり頭の中が整理させる感じでした。

    「ご先祖になる。」と「良き祖先になる。」の言葉
    柳田國男さんが「御先祖になる」という言葉を「先祖の話」に書いたのは昭和21年なので1946年。そして、ローマン・クルツナリックさんが「グッド・アンセスター」で「良き祖先になれるか」ってことを書いたのが2021年。約50年の時を経て、同じような話が書かれていることに驚きます。

    だけど、自分自身がどちらの話を読んでも、学びになることばかりで、おそらく大切なことは時代が変わっていっても、不変のものがあるんだな…ってことを感じさせてもらっています。おそらく、ボクが今、毎朝続けている「お参り」のことについても、時代が変わっても不変のもの…だと思うので、日々、いろいろ考えながら、いろいろ感じながら続けていくつもりです。

    そして、その自分自身がいずれは、次の時代やそのまた次の世代のご先祖さまになる…、祖先になる…という視点は、確かに素晴らしいものだと思っています。この視点を大切にして、今の生活を見直したり、これからの世代のことを考え、祖先として恥ずかしくない自分のあり方をしっかりと考えながら、日々の修行をがんばっていきたいと思います。今日もボチボチがんばります。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

  • 「ご先祖様には子孫を幸せにする力がある。」という言葉の裏に隠れていた「子どもを思う熱量」のこと。

    ボクはリスペクトしている石屋の先輩に「お参り」の大切さを教わりました。それがキッカケで、毎日の「お参り」を続けてきました。もう5年ほどになります。「お参り」を続ければ続けるほど、毎日の「お参り」の時間から学ぶこと、「お参り」をすることで感じるがたくさんあって、今では自分にとって、なくてはならない時間になっています。

    自分自身ももちろんなのですが、一緒に連れて行っている息子たちの様子から「子どもたちにとって、ものすごいパワーになる!」ということを感じています。この効果については、もう確信に近いものがあり、このことを伝えた友人も子どもたちを「お参り」に連れて行ったり、毎日の生活の中で「お参り」をする時間をつくったりし始めています。ボクが感じていることと同じように感じている友人が多く、「お参り」の力すごさに本当に驚かされています。

    お墓は”ご先祖さま”との幸せの交換の場所
    今となっては「お参り」のものすごいパワーを感じるようになっていますが、始めたころはそんなことはなく、「お参り」に行った時にどんなことを願えばいいのか…と迷っていました。そんなボクが大きく変わるきっかけになったのが、リスペクトする先輩から教えていただいた「お墓は、ご先祖様との幸せの交換の場所。ご先祖さまに感謝を伝えれば、ご先祖様が幸せを返してくれる。」という言葉でした。

    冒頭で紹介したように「お参り」を続けていると、自分にとって、本当になくてはならない時間になっているけれど、これは”ご先祖さま”の力なのか…。そんな気もするけれど…。なんだかはっきりしなかったので、いつもいろいろ教えていただいている先輩に尋ねてみました。すると、こんな答えが返ってきました。

    柳田國男の「先祖の話」の一説に「ご先祖様を懇ろにお祀りすれば、ご先祖様には子孫を幸せにする力がある」と書かれています。

    やっぱり”ご先祖さま”には、そんな力があるってことなんだな…と思いつつ、まだなんだか腑に落ちない感じがしていて、このことを教わって以来、必死で「先祖の話」をひたすら読み続けています。文中の「懇ろ」は「ねんごろ」と読みます。真心を持って、丁寧に、親密に…という意味。こんな感じで、いろいろ難しい表現があって、ちょっと難解なんですが、「お参り」をしながら、書かれている言葉を反芻して、意味を考え続けています。

    まだまだ分からないことも多い中、難解ながら「先祖の話」を読んでいると、この「ご先祖さまを懇ろにお祀りすれば、ご先祖様には子孫を幸せにする力がある。」という言葉が、どういった背景で生まれたかについて、ボクなりのイメージが湧き始めています。

    「ご先祖さまになる。」という言葉。
    「先祖の話」は81のテーマに分けて書かれているのですが、その中の1つのテーマに「御先祖になる」というテーマがあります。ここには、今までに聞いたことがなかった言葉にかなり惹かれたのですが、その中にものすごく興味深いことが書かれていました。ちょっとだけその部分を引用させてもらいたいと思います。

    「たとえば、ここに体格のしっかりとして、眼の光がさわやかで物わかりのよい少年があって、それが跡取り息子でなかったという場合には、必ず周囲の物が激励して今ならば早く立派な人になれとでもいう代わりに、精出して学問をして御先祖になりなさいと、少しも不吉な感じはなしに、言って聴かせたものであった。」
                                  柳田國男「先祖の話」4 ご先祖になる より


    つまり、昔は「ちゃんとする」とか「立派な人になる」といった意味と同様に「御先祖になる」という言葉が普通に使われていた…ということだと思います。でも、この言葉から分かるのは、自分は”ご先祖さま”に守られていて、立派になれば子孫を守ることができる”ご先祖さま”になれる…ということ。


    この言葉から考えると、”ご先祖さま”は決して遠い存在ではなくて、いつも近くにいて守られてきているし、自分自身も”ご先祖さま”になって子孫を守ることもできる…という感覚があったんだろうなと。たぶん、今よりももっともっと亡くなってしまった方と近くにいる空気だったり、自分がなくなってしまった後に残されたみんなの近くにいれる…という空気だったりがあったんだろうな…と想像しています。

    おそらくスタートは「子どもたちを守りたい!」と願う熱い気持ち!
    先輩から教えてもらった「ご先祖さまを懇ろにお祀りすれば、ご先祖様には子孫を幸せにする力がある。」という言葉を聞いて、初めは「”ご先祖さま”に不思議な力があるってこと?」と考えていましたが、たぶん思っていたのとはちょっと違うんじゃないかな…と思い始めています。

    「”ご先祖さま”が守ってくれる。」ということよりも先に、自分自身が亡くなってしまった後も、”ご先祖さま”になってでも、子どもたちやその子どもたちを守るんだ!という熱い気持ちのことなんじゃないかな…と想像しています。それをちゃんと子どもたちに分かってもらうために「ご先祖さまを懇ろにお祀りすれば、ご先祖様には子孫を幸せにする力がある。」ってことを伝えたんじゃないかな…と。ちょっといろいろ考えて、この熱量のある感じがなんかめっちゃステキだ!と思っています。


    まだまだ勉強を始めたところですが、今「先祖の話」を読んで学んでいて、ボク自身は亡くなってしまった大好きだったおじいちゃんやおばあちゃん、2人のお姉ちゃんにもっともっとそばにいてもらっていいのかも知れないな…と思っています。あと、亡くなってしまった師匠や友人も、遠いところにいてらもうんじゃなくて、もっと近くにいてもらってもいいのかも知れないな…と思えています。

    そして、自分の子どもたちにも「ずっとそばにいてちゃんと見守る!」って覚悟で接していきたいし、その気持ちを伝えるために「お参り」を大切にしていきたいし、事あるごとに”ご先祖さま”や大切な友人のことを言って聞かせてやりたいな…と思っています。

    家族の形が変化して、つながりが希薄になってきていることが嘆かれていますが、おそらくこういう子どもたちを大切に思う熱い気持ちをもっともっと表現したり、”ご先祖さま”への「お参り」の時間を大切にしたりすることで、もしかしたら、昔とは形は違うけれど昔以上にステキな家族の関係が生まれていくんじゃないかな…と想像しています。自分自身、お墓さんを作る…という仕事でそんな空気を作っていきたいです。

    まずは今日のどこかで、うちの息子たちに「ひいじいちゃんやひいばあちゃんにみないな立派な”ご先祖”になるんやで!」って声をかけてみるところから始めてみようと思っています。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

  • 『言葉』にする」ことで”価値”をつかまえる。

    毎朝の「お参り」をするようになって数年になります。続ければ続けるほど、この「お参り」の効果を感じるようになっていて、もうそれは日々体感できるほどの感じです。このことを友人に伝えると、多くの友人が「お参り」をスタートさせていて、「『お参り』ってすごくいい!」って感想を伝えてくれるようになりました。ちょっとその広がっていく感じがすごい…ってことに自分自身も驚いています。


    友人の1人、原っぱ大学の塚越さんがその思いを「つれづれ通信」の中「そうだ、役割をまっとうしたいんだ!」という記事で綴ってくれています。素敵な文章なので、ぜひ読んでいただきたいです。

    https://harappa-daigaku.theletter.jp/posts/0cd21090-bc67-11ef-b770-6b441c97a682


    そして、小学校5年生のうちの長男も「お参り」の効果を感じている1人。彼は、4年生の時の大きな怪我をきっかけに「朝参り」を続けています。これは、ボクが彼を見ていて感じていることですが、ずっと「お参り」を続けている姿を見ていると、カウンセラーだったり、メンターだったり…そんな、子どもたちを支える大きな存在になり得る…と本気で感じています。

    本人にも「お参り」をしていることについて、どんな感じがしているかを聞いてみると、「『お参り』をすると、ご先祖様が近くに来てくれて応援してくれる気がするから、できるだけ行ける時は『お参り』に行きたい。」と言います。

    息子の姿を見ていて、控えめに言ったとしても「『お参り』は子どもたちの最強のサポーター!」って心の底から思っています。もし、お子さんが近くにおられるなら「お参り」を習慣にしてあげることを心からオススメします。

    「『お参り』がすごい!」って話が新鮮だと感じるのはなぜか?
    この「『お参り』がすごい!」ってことについて、いろんな方に伝えているのですが、そんな中、ふと気づいたことがありました。それは「自分たちは何か新しいものに出会ったような気持ちでいたけど、昔の人にとったら別に特に取り上げるものではなく「お参り」は”当たり前”だっただろうな…」ってこと。


    「お参り」のことを伝えていたら、小さい頃に長崎のおばあちゃんが毎日お参りをしていた姿を思い出しました。毎日毎日、神棚や仏壇にお参りをして、”お墓さん”にもお参りに行って…。おばあちゃんが「お参り」している風景は、ただただ”当たり前”の風景でした。

    そんなおばあちゃんの姿は、ボクらの一世代前のみなさんにとったら、たぶん普通の風景だったはず…です。でも、ボクらは、新しく「お参り」の良さを発見したような気持ちになっている…。これは、ボクらが過ごしてきた環境が「お参り」から離れてしまっていた…ってことが影響していただけ…かも知れないなと思ったのです。

    そんなことを思っていたら、また1つ疑問が生まれました。

    「お参り」について、自分自身も友人も「『お参り』には間違いなく効果がある!」って断言できるくらいなんだけど、そんなにいいものなら、もっともっと話題になって、もっともっと盛り上がってもいいのに…と思うのに、逆にあまり話題に触れる機会もなかったし、「お参り」から離れてしまっている現状が生まれているのはなぜなんだろう?…と。

    昔の人も「お参り」の効果を享受していたはず…
    そんな疑問を持つようになってからいろいろ考えながら「お参り」を続けてきて、ボクの中でさらに1つ気づいたことがありました。それは、当然、昔の人も「お参り」を続けていたら、当然その良さを享受していたはず…ということ。

    ただ、おそらく、あまりにも”当たり前”だったから、その良さを「『言葉」にする」ってことをすることもなかったし、あえて「『言葉」にする」って必要がなかった…ってことなんじゃないかな…と思います。その良さについて、感覚ではみんなが分かっていたと思うし、みんなの中で共通認識もできていた感じだったと思います。


    だけど、あえて「言葉」にしていなかった…。「言葉」になっていなかった…。「言葉」になっていなかったから、家族の形が変わってしまった時に、そのことを伝える「言葉」がなかったり、あえて話題にして伝えるたりすることをしてこなかったことで、ボクら世代は「お参り」の良さについての話に、これまであまり触れることがなかったのかも知れないな…と思っています。

    そんなことを思いながら、近くで暮らしている義母の姿が頭に浮かびました。義母も、毎日毎日、”当たり前”に仏壇に「お参り」をし、ご近所のお地蔵さんに「お参り」をしています。おそらく、それは”当たり前”で、そのことをわざわざ取り上げて話をすることはありません。だけど、ボクらは、毎日の義母の姿を見て「背中で感じること」ができますが…。

    最近は、家族の形が変わってしまって、一緒にお参りにいくこともなくなってしまっていたり、祖父母の動きを「背中で感じること」ができなくなってしまっていたり…で、その良さを感じる機会がなくなってしまっています。そして、それがあまりに”当たり前”のことだった…ってことで、その良さが「言葉」になっていなくて、その「価値」に気づくことができなくなっていたんだろうな…と思うんです。

    必要なのはいい!と思う「価値」を”「言葉」にする”こと!
    いろいろ考えてきたことで、今、思っているのが「『言葉』にすること」が大切!ってこと。ボクが考えている「お参り」のように、いいものでも”当たり前”の中に埋もれてしまって感じたことを「言葉」にしていなかったら、その「価値」を捉えられない…ってことが起こり得ます。そして「言葉」がなければ、もしかしたら今後語られることがなくなってしまって、最悪は失っていることにも気づけない…なんてことも考えられます。


    だからこそ、ボクは自分自身が感じている「お参り」のことをできるだけ「言葉」にしていきたいと思っています。そして、その「言葉」をできるだけ伝えて、できるだけ堂々と「言葉」にして語り合いたいと思っています。おそらく、それは、もしかしたら昔から”当たり前”に(もしかしたら、そのことに気づかずに…)享受していたことを「言葉」にして、その「価値」を捉え直すことにつながっていく…はず…と思っています。

    「お参り」についていろいろ考えてきたけれど、この話は「お参り」に限った話ではないはずです。他のことも同じように「大切だと思ったこと」や「いいと思ったこと」はできるだけ「言葉」にしておかないと、その「価値」に気づけず、そして捉えられずに、ボクらの手からすり抜けてしまうかも知れないな…と感じています。

    今年はもうすぐ終わってしまいますが、このことをまとめられたのが今年の一番の収穫かも…と思っています。2025年は、自分の日々の暮らしの中で、大切だって感じたことをできるだけ「『言葉』にする」ってことをがんばっていきたいです。そして、日常にあふれているだろうたくさんの大切な「価値」をつかまえておきたいです。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目 森重裕二

  • 庵治産地の職人が作る”お墓さん”の魅力。

    ボクが日々作らせていただいている”お墓さん”。ボクは”お墓さん”という呼び方にちょっとこだわっています。”お墓さん”は亡くなった方の「終の棲家」とも呼ばれ、亡くなった方が眠る場所。そして、亡くなった方への思いが集まり、ずっとずっと手を合わせていただける場所。その呼び方として、”製品”であったり”もの”であったり…という言葉では、ちょっと違うかも…という感じがしていたからです。

    石屋になって間もない頃、呼び方をいろいろ探っていた時期がありました。職人さんや地元の方々にもたくさん質問をしたのですが、なかなかいい回答はありませんでした。そんな中、庵治産地の地元のおじいさんが”お墓さん”って呼んでおられたのを聞いて「これだ!」と思いました。それ以来ずっと”お墓さん”って言っています。ボクは”お墓さん”を作る仕事をさせていただけていること、本当にありがたいと思っています。


    ”仕事の意味”を考える。
    6年前から縁あってこの仕事をさせていただけていること、本当に感謝だし、日が経てば経つほど、本気で「心」を入れてがんばらないといけないな…という思いが強くなってきています。そんなことを考えている時に、ボクが石屋になって間もなかった頃に出会った先輩にいただいた言葉が頭によぎりました。

    「意味を知れば、仕事が深くなる。」

    先輩から聞かせてもらった時に、言葉としては分かったつもりではいたのですが、その”意味”ってどんなことなんだろう?と思い続けてきました。先輩に、この言葉を教えてもらって以来、石屋の仕事として、そしてお墓さんを作る仕事として、「”意味”を知る」というのはどういうことなのか?っていうことをこれまでずっと自問してきました。


    日々、自分が毎日触らせていただいている「庵治石」のこと、「お墓」のこと、「グリーフケア」のことなどについて徹底して学びつつ、毎日「お参り」に行きながら、子どもや自分自身の変化から”お墓さん”とは一体何なのか?…、そして自分が一体何を作らせていただいているのか?…ってことを考え続けています。

    ”お墓さん”を作っていて思う「心の『向き』」のこと。
    そんな日々の中、特に石屋になってから、「心」には見えないけれど「向き」と「大きさ」があると思うようになりました。そして、”お墓さん”には、作る人間の「心」が「温度」のようなものとして貯め込まれていく…と感じています。そう思うようになってから、”お墓さん”を作る自分の「心」をいつも見つめています。


    こう思うようになったのは、やはり先ほどの先輩からの言葉が大きなキッカケです。ボクらが作っているのは、庵治産地の素敵な職人のみなさんと一緒に作っている”お墓さん”。石屋になって、この”お墓さん”を初めて作っておられるのを見せてもらった時に、ボクがそれまでイメージしていたものをはるかに超えた素敵さがある!と感じました。それまで無機質に思っていたけれど、直感的に「『温度』がある!」って思ったのです。

    このことを説明するために、庵治産地の”お墓さん”の対照的なものを考えてみました。あくまでも想像の話ですが、例えば全自動の機械があるとして、原石を与えれば、ロボットが完璧なものを仕上げてくれる…ってことをイメージしてみてください。そのロボットで作ると、もしかしたら設計図と寸分違わない完璧なものができるかも知れません。でも、ちょっと無機質な感じです。

    一方、ボクらが作っている”お墓さん”は、いろんな職人さんが関わって出来上がっていきます。原石を採る職人、割る職人、挽く職人、磨く職人、形を作る職人、字を彫る職人、運ぶ職人…。それぞれみんなが石を採らせていただいている自然に感謝をしつつ、「いいお墓さんを作りたい…。」という気持ちを持って「心」を込めて作られたもの。

    日々、職人のみなさんとやりとりをしながら、ボクらが庵治産地で作らせていただいている”お墓さん”は、ロボットが作る無機質なものではなく、間違いなく「心」が込められていて、そこには「温度」のようなものをがある…と感じているのです。

    これからも「心」を入れて、庵治産地で”お墓さん”を作っていきます。
    ボクら庵治産地で作る”お墓さん”の魅力は、言うまでもなく「庵治石」という石の素晴らしさです。独特の「斑(ふ)」と呼ばれる模様がキレイに浮かんでいて、石に独特のねばさがあることで風化に強い…という特徴があります。

    もちろん石自体の魅力があることも去ることながら、ボクが思う最大の魅力は、職人のみなさんの「心」が込められた「温度」のようなものだと思っています。石が採れてからできあがるまで、1つの地域でみんなで「心」を入れて協力して作っています。日々作っている”お墓さん”に込められた「温度」も一緒に届くといいな…と思いながら、日々修行をしています。

    「終の棲家」として亡くなった方が眠り、その方への思いが集まる場所としての”お墓さん”として、庵治産地で作った「庵治石」の”お墓さん”を選んでいただけるように、これからもしっかり「心」を入れて修行していきたいと思っています。

    そして、今はまだ答えが見つかっていないけれど、先輩から教えてもらった言葉の中の「仕事の”意味”」について、これからもしっかりと考え続けて、いつか「”お墓さん”を作る」という「仕事の”意味”」を見つけたいです。

    今日もボチボチ修行がんばります。

    庵治石細目「松原等石材店」3代目・森重裕二

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